じゃがいもエルフという垢抜けない、ちんちくりんなイメージ。指輪物語を読んでいる我々ならホビットを連想するところだろうが、本作は1929年にかかれているので、指輪物語は構想されてはいるが作品にはなっていない。前半と後半でがらりと勢いを変える。以下はネタバレとあらすじ全開であり、ラストに仕掛けがあるのでできれば読了後にお読みください。
じゃがいもエルフとは小人を指している。フレッド・ドブスンはサーカスの軽業師として生計を立て、スペインやドイツを回った後に故郷のロンドンに帰ってきて、手品師のショックと出会う。情熱的なフレッドが同じ軽業師の女性たちといちゃついていると、力の強い空中ブランコのフランス人に叩きだされて伸びているところをショックが拾って養子にしようとする。ショックの妻ノーラは手品師と暮らしているために、ふと実験台にされてそのたびに軽い屈辱感を覚えていた。そこにやってきたフレッドを子供のように思って慈しむが、フレッド自身はまた別の思いがあったのだった。ここでフレッドの視線はノーラの顔から履いているエメラルド色の飾りがついたスリッパに移っていく。ここで作者により「そして突然すべては、なにやらばかげた、酔いしれたような勢いで動き出した」と宣言されるように、4章と5章の間に明確な線が引かれる。
一日一日はどれも――ただひとり――いちばん幸せな人間にだけ与えられた贈り物(中略)自分が引き当てるのは本当はどんな日なのか、どんな些細なことが後々まで思い出に残ることになるのか(中略)人はあらかじめ知ることはできない。
いちばん幸せな人間として引き当てたフレッドが過ごした一日は、ロンドンをあちこち歩きまわり、木々の樹液の匂いを吸い込み、空の雲の早さに胸おどらせる。歩きまわって疲れたフレッドは行きつけの食堂で普段訪れるはずのないショックに出会う。すっかりノーラにのぼせ上がっているフレッドはしかしそれを言い出せない。その代わりにノーラ宛にショックと別れて自分と暮らそうと手紙で持ちかける。それを読んだか察したか、ショックはノーラの前で毒を飲む。ノーラは彼の死の間際に本当に愛していたのはショックであると悟り、慌てて救急車を呼び、自分の軽はずみな行動で愛する者を死に追い込んだと泣き叫ぶ。
一方フレッドは北イングランドに引きこもるが、ノーラへの手紙は全く相手にされず、小人特有の心臓病の兆候を見せ始める。それから8年が過ぎ、突然ノーラがフレッドのもとに訪れる。なんとフレッドの子供が生まれたというのだ。会わせてほしいとたのみこむものの、それまで怒っていたようなノーラは急に動揺の色を見せて立ち去る。我に返ったフレッドはノーラを追いかければ自分の子供に会えるという一心で彼女を追いかけ、ロンドンでは悪童たちに囲まれながら走りだし、追いついた途端に心臓病に倒れる。
ノーラが8年後に急に訪れたこと、その時黒づくめであったことが冷酷なラストシーンにつながる。また、フレッドが居酒屋でショックに言い出せない場面と、ノーラがフレッドに言い出せない場面は対比されている。その結果、ショックは仮死に陥り、フレッドは本当に死んでしまうという構造的な対比が美しい。また、ノーラが「息子が死んだばかり」という台詞にも、自らの子どもと子どもとしてかわいがったフレッドの死とがかけてあるとも読むことができる。かのように、ラストで明かされる事実によってドミノのように対比がぱたぱたと見えてくるところがおもしろい。
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