本棚の上でボルヘスとガルシア=マルケスは何人踊れるか

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某氏と話していて「○○のボルヘスにろくなやつはいねえ!」「でもチベットのボルヘスはいいよね!」と盛り上がった際、はて、他に○○のボルヘスや○○のガルシア=マルケスと呼ばれる人物はどれくらいいるのだろうと気になった。うちの本棚には少なくともチベットのボルヘスしかいないような気がする。そこで、気合いの検索で○○のボルヘス、○○のガルシア=マルケスと呼ばれる人物を探してみた。手動なので抜けている人がいるかもしれない。また、あくまでボルヘス、ガルシア=マルケスと比肩するおもしろさを他者が評しているのを対象としているので、本人談や彼らが影響を受けた作家たちは含みません。

○○のガルシア=マルケス

ガルシア=マルケスの方は、おそらく『百年の孤独』のように、プリミティブな舞台の群像劇で、マジック・リアリズムの技法を用いた長編をものした作家に称されるのだと思う。まずは須賀敦子がタブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』のあとがきでサルマン・ラシュディを「インドのガルシア=マルケス」と称していたらしい。この称号はよく聞くけど、いざ検索してみると並べて論じているところは少ない。たいていは『百年の孤独』と『真夜中の子供たち』がマジック・リアリズムということで比較されるようだ。昔のユリイカとかめくったら書いてあるのかな。

また、「中東のガルシア=マルケス」としてナギーブ・マフフーズが取り上げられている。まったくノーマークだったので、機会があれば比較してみたい。って、カイロ三部作の人か……。これ以外の作品でお願いします。

ラテンアメリカはさすがにお膝元ということで比較対象が多い。無慈悲な昼食顔のない軍隊が翻訳されているエベリオ・ロセーロはともかく、ホルヘ・フランコの場合『ロサリオの鋏』はあまりガルシア=マルケスぽさは感じなかったけど、売り文句としてよく使われている。そして同じ言語のスペインでもルイス・サフォン『風の影』もガルシア=マルケスと比較されていることが多い。

日本はというと、磯崎憲一郎がそうらしい(マルケスって赤い方じゃないよね?)あと、中上健次はよく比較されますね。それとご本人が大好きな池澤夏樹。野谷文昭『マジカル・ラテン・ミステリー・ツアー』からの孫引きによると、高橋源一郎氏によって笙野頼子がガルシア=マルケスにたとえられているそうだ。『二百回忌』は分からなくもないけど、他はどうなんすかね。

中国のガルシア=マルケスと言えば莫言せんせい。莫言が作品の舞台とする「高密県」は、実際にマコンドに影響されて書かれたようだ。二人ともノーベル文学賞受賞作家になりましたね。もっと評価されていない作家で「○○のガルシア=マルケス」、「ガルシア=マルケスの再来!」みたいな作家が検索すればごっそり出てくるかと思ったのですが、なかなかいないものです。

というわけでざっと検索したところだと10人くらい。他に目撃情報があったら教えてください。次はボルヘス探しの旅に出ます。

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