レイナルド・アレナスのインタビュー@現代詩手帖1986年3月号 その2

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前の記事の続き。

1970年には『めくるめく世界』も『老いたるローサ』もキューバ国内では出版できず、田舎へと送られたレイナルド・アレナス。文学関係のレセプションなどの招待状なども届かず、一方では表現規制の取り締まりが厳しさを増してくる。物書きは逮捕されたり、軍の機関誌『ベルデ・オリーボ』で批判されたりする状況になった。これらの根拠は新憲法でマルクス主義に合致しない小説を書くことが「イデオロギー的娯楽主義」にあたるというもの。

この頃、レイナルド・アレナス自身は『夜明け前のセレスティーノ』を含めた5部作を書くことを決意し、2作目を書き始めている。インタビューでは、2作目がセレスティーノの青春時代(『純白のイタチたちの宮殿』)、次は大人時代、最後は老人時代と4つしか明記していない。セレスティーノについてアレナスは敵対的な環境で詩を書くことを決意した人であるとみなしている。田舎で歴史のない舞台から、成長につれて歴史のある世界へ移っていく姿を描きたかったようだ。

1972年に『純白のイタチたちの宮殿』は書き終えるとすぐに、フランスへ行く女性によってキューバ国外へ持ち出される。1975年にフランスで出版。この作品は『夜明け前のセレスティーノ』と主人公の名前が変わっているし、前作で死んでいるけれども、2作目の主人公も同じ人物であると解釈すべきだ、と作者は語っている。

アレナスが500ページくらいになる3作目を書き終えようとする頃に事態が急変。仲のいい友人に読んでもらおうと原稿を渡したところ、オリジナルもコピーの両方とも紛失されてしまう。実は影でその人物は警察に原稿を渡していたことが後に判明する。そして1974年、海水浴中に服と詩を書いた紙を盗まれてしまい、それが警察の手に渡って難癖をつけられる。翌日勤め先のUNEACへ行くと「浜辺で反革命的な原稿を読んで乱交パーティをしているところを捕まった」と聞かされ、慌てて弁護士のところにかけこむことになる。しかし、2ヶ月後にアレナスの押収された作品をコラージュした怪文書が届き、UNEACの会長がアレナスの行動を批難する文書や反革命分子の疑いを受けて8年の禁固刑が求刑されていると弁護士から聞かされる。一緒に海水浴に行った友人に海外へ脱出するつもりだと相談した翌日、警察がアレナスのドアを叩き、持ち物全てを没収され収監されてしまう。アレナスには前科がなかったので実刑は禁固1年。罪名は公的破廉恥罪。アレナス自身は、この法律が何にでも適用されて多くの人々が逮捕されていることに不満を表明している。精神的に追い詰められ、1年後に釈放されたとしても罪人の汚名は晴れず、釈放後はキューバに定住の地を持てないまま放浪を続けていた。それから亡命まで3年間はただ生存するためだけに友人宅などに住み込み、小説や詩は何も書かなかった。彼曰く「死んだふり」をしていた。

アレナスはレサマ=リマに好感を抱いていたが、一方で好調な頃は仲良くしていたガルシア=マルケスやコルタサルが、レサマ=リマが社会的に糾弾された途端に接触を途絶えさせ見捨てたことを批難している。1970年、パディーリャ事件の数ヶ月前にレサマ=リマの『全詩集』が政府公認で発行された。そして事件中の告白でレサマ=リマは『全詩集』を刊行してもらったにも関わらず感謝が見られない、とパディーリャは叱責した。その他、パディーリャは文学界へ多くの批判を行ったが、アレナスはパディーリャに罪を被せようとしたもので、パディーリャ自身の罪ではないとしている。しかし、その事件をきっかけに体制に反発・無関心な作品は禁止されていくのだった。

まだまだ続きます。

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