白隠展で自分の足りなさに気づく

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渋谷で白隠展の前に読書会課題図書の『夜明け前のセレスティーノ』を読了。わたし自身はホモセクシュアルでもなければなんらかのマイノリティであるという自覚もないので、アレナスが受けた抑圧を理解できていないのかもしれない。現在の日本、特に東京だと、弾圧を受けるほどのマイノリティはそうそういない。おそらくは社会的抑圧により意識的であることが必要で、もしかしたらいつの間にか自分は順応してしまっているために共感していないのだ、という印象。これを語るのは難しそうだ。

2月にしてはとても温かく、ジャケットとシャツ程度で外に出られることもあり、先送りにしてきた白隠展に出陣。10:30頃に入場すると、もう結構な人出だが、上野のように混雑して先に進めないというほどでもない。白隠は大きな美術展でよく目にする割には、実際にまとまって見た記憶がない。今回の展覧会は観音や達磨など、同じモチーフを並べてあるために、60代から(!)本格的に始まった彼の画業の変遷が短い期間ながら見て取れるのもおもしろく、凝った構成にシンプルな絵というおもしろい対比を感じました。

白隠といえば赤達磨か大燈国師、そしてすたすた坊主といったところが有名か。個人的に哀愁を感じる大燈国師は、よく見ればコルナ(メロイックサイン)を出しており、会場の説明によるとこれは白隠が気合いの入った絵を描いた時に出しているが、意図はよく分からないらしい。同じコルナは関羽の絵にも見ることができる。白隠が関羽を描くという組み合わせに驚いたのだが、豊かな髭に龍の飾りの入った青竜刀など、素朴な水墨画の白隠というイメージとは大分異なるできばえでおもしろい。

白隠は禅画の人という思い込みだったもので、変な動物がいろいろ見られるのもうれしい驚きの一つ。「びゃっこらさ」は白狐と「やっこらさ」というかけ声の語呂合わせで、白狐が飛脚に扮している。鬼の腕や瓢箪をかつぎ、腰には化かすための葉っぱを一枚。ユニーク。他に「鼠大黒」では大黒様の周りを鼠が笛を吹いて踊っており、当時から鼠の鳴き声と「忠」をかけていたことが分かる。

とはいえ、なんといっても白眉は2mの半身達磨。墨で塗りつぶされた背景に大きな頭の達磨は素直な気持ちでその前に立てる。写真などで見るよりも横幅が広い印象で、「直指人心 見性成佛」がうっすら宙に漂う。とにかくこれを見るためだけに渋谷に行く価値がある。そして、白隠の絵にはほぼ賛が入っているが、これを解説に頼らなければ読めない自分につくづく嫌気がさしたので、自分の五カ年計画に「書が読めるようになる」を含めたい。学生の時にあれほどつまらないと思っていた授業を受けたくなる日が来るとは。悔しいので図録を購入し、もう一度白隠の絵をじっくり読み解くつもり。

作品の中で一番心に残ったのは絵ではなく書。「暫時不在如同死人」。最初は意味が分からなかったものの「死人」という二文字にぎょっとして、よくよく解説を読んでみると、自分の志が一瞬でも疎かになったら死んだも同然だ、ということらしい。よく酔っぱらって本を読まずに寝てしまう自分の至らなさに深く突き刺さり、それでも午後には呑んでしまう己の至らなさ。でも、こうやって記事を書くことや自分の魂が求める本を読むことを続けることが、自分にとっての「在」かな、と思ったことです。

昼過ぎからは某下北沢で軽く古本ソロツアー。のはずが、なぜかCDを購入していた。すっかり安くなったものです。

  • Roger Eno「Voices」(「アンビエントの傑作」という惹句につられて。確かにすばらしい)
  • Anthony Phillips「Private parts and pieces」(ずっと探していた元Genesisメンバーのアコースティックなロックというかプログレというか)
  • T・E・ロレンス『砂漠の反乱 アラビアのロレンス自伝』(角川文庫)

そして帰りの電車でイヤホンが壊れていることが判明し、泣く泣く「Creative Aurvana In-Ear3」を通販で注文。毎日Podcastを聞いたり、外出時のノイズ軽減に欠かせないのでイヤホンは必須なのだが、耳の形が人とだいぶちがうらしく普通のイヤホンはすぐに落ちてしまうので、インイヤー型でないといけないのだった。うまく合うといいのだが。

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