ラテンアメリカ文学の魅力@ジュンク堂書店池袋本店

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『魔術的リアリズム――20世紀のラテンアメリカ小説』出版記念として著者の寺尾隆吉氏と、鼓”ラテンアメリカ文学者はワシが育てた”直氏による対談を聞いてきた。

マジック・リアリズムについては、数年前に「Magical Realism: Theory, History, Community」という洋書を買ってちまちま読んでいる程度の知識なのだが、ラテンアメリカのブームはもちろん、アンジェラ・カーターやラシュディ、ノーベル文学賞の莫言に加え、とある論文では芥川の『河童』さえマジック・リアリズムに仕立て上げられて、誰もがマジック・リアリズムってなんなのさ、というもやもや感がつきまとっていたはず。それをすぱっと定義づけてくれるのが今回の著書と講演会だったのです。

当日の流れについては某氏がまとめているので、自分なりに。

マジック・リアリズムの舞台は架空の空間を作り出すことで成り立つということ。根底にはケルト神話や黒人たちによって持ち込まれて、キリスト教や土着の文化と融合した独自の迷信や根拠があり、それが西欧や一般的な日本人の常識と外れたところにある。(おそらくは)それまでの読者の常識や価値観を覆すことができるだけの力を持った文章になるのだ。特に個人的に避けて通ってきたマヤ民族を大きく取り上げたアストゥリアス『グアテマラ伝説集』はそろそろ向き合わないといけないくらい大切らしい。

そして、マジック・リアリズムと呼ばれる小説には物語を押し進める力が必要であること。物語の推進力というのが大きな鍵になっている。それを陽として押し進めたのが『百年の孤独』で、陰に進めるのが『夜のみだらな鳥』、推進力が足りないのがカルペンティエール、ということになるのかな。今回マジック・リアリズムとして取り上げられていた物語は、知っている限りはほとんどが長編だったけど、短篇の形でマジック・リアリズムは成立し得ないのかと質問してみれば良かった。あ、アストゥリアスは短篇か。

さらにコルタサル(とは明言していなかったけど)やボルヘス、ビオイ=カサーレスらのアルゼンチン・ウルグアイ勢はマジック・リアリズムとはみなさない、と言及されていたのも興味深い。気候の問題について最後に質問されていて、ガルシア=マルケスはメキシコシティで執筆しているときに「文章に熱さが足りない」と言い放って、毎日暖房を入れて26度以上にしていたというのは耳福。ラプラタ幻想文学とくくられる作家たちが住んでいる場所は、南半球とはいえ結構寒い(真冬は最低気温が一桁らしい)みたいだ。そういえば、アルゼンチンやウルグアイの作家は短篇の比率が高いかもしれない。統計をとったらおもしろいかもしれないな。

日本の作家におけるマジック・リアリズムという質問について、2つの流れがあると。1つは『同時代ゲーム』のように当初は違う書き方をしていたのに技法としてマジック・リアリズムを取り入れた作家、もう1つは中上健次のように土着の文化をマジック・リアリズムで描いた作家。こうして見るとWiikpediaの項目は大きく改訂しなければいけないのではないか。

今回の講演は、キレのある寺尾氏と、ナチュラルな魅力の鼓氏が間近で見られる垂涎の機会。2回、それも授業に出たとかではなく、講演会だけでお見かけしただけだが、とにかくわたしは鼓先生の大ファンなのだ。セルバンテス文化センターでフエンテスの講演会があった時に、ひそひそと「実はラテンアメリカに行ったことないんですけど」「フエンテスは訳したことがほとんどないんですよね」と言いながらチャック・モールのおもしろいところを名調子で話されていたのに釘付け。今回も「訳したかったんだけど後勢に託します」とか「ドタキャンの鼓」など名言炸裂。誰か鼓先生の回想録を作るべき。

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