コケカツ(119)

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緊急事態宣言が解除されて、一番不安なのは通勤。幸い、毎日電車に乗っているわけではないし、以前使っていた混雑する時間帯を避けているので、だいたい座って行き来ができている。
久しぶりに下りるまでずっと座れないときがあって、その時に気づいたのが、電車の中で立つための足腰が弱っているということ。
ここの揺れはこちらに体重をかければ平気、という場所で軽く足が動いてしまう。もしかしたら足腰が弱っているわけではなく、揺れの記憶が薄らいでいて、体力的には平気でも脳内の処理が行き届いていないのかもしれない。
ともかく、あれだけいやだった通勤が体力の維持に貢献していたのかもしれないと思うと、イヤな同級生が子猫を助けたような、妙な悔しさがある。

読書はというと、「あつまれ どうぶつの森」を買ってからというもの、なかなか進まない。当然です。『失われた時を求めて』と「どうぶつの森」の緩さはどこか似ている。
しかし、昨今の政治状況へのくすぶった気持ちと、書店が再開したことの歓びから、読めもしないロールズ『政治哲学史講義』を上下セットで買ってしまう。
「正義」って漢字で書くと絶対的な正しさの具現に見えるけど、学術的にはどう考えられているんだろうと思って。

ところが、一向に読み進まない。講義なので決して難しい言葉の羅列ではないのだけど、意味がとりづらい文章。

もう一度繰り返しますが、このように、意図されているのは、私たちは社会契約を自然状態がどのように政治社会に転換されうるであろうかを考える一つの方法とみなすべきであるということです。(岩波現代文庫版p.60)

まず、「このように」「意図されている」のか、「このように」「私たちは社会契約を〜」なのかが分からない。なぜこのような語順なのだろう?
そういうところで引っかかって1週間かけても70ページくらいしか進んでません。とほほ。原著と比べながら読みたい気持ちはあるけれど、その時間を作り出すことができるか。怠惰な正義感では乗り越えられない大著です。

一方で図書館が再開されたので、久しぶりに『パーキンソンの法則』を読む。これは抱腹絶倒のやつです。

学生時代に読んだ時は「公務員がこんな変な理屈で増えるなんてけしからん!」と憤ったものですが、いま読んでみると「3高度財政術 関心喪失点」がおもしろい。
予算の会議で、桁が大きくてコンサルタントがお墨付きを与えた原子炉は議論もなくあっさり通ってしまう。一方で、自転車小屋の屋根に使う材質などは予算感が分かりやすいので議論が揉めやすい。
これは他人事じゃなくて、ニュースを見ていると○○億円を中抜きみたいな話が出ていて、その金額はさすがにぼりすぎだと思うけど、さりとていくらなら適正な値段なのかは内実が分からないことには、うかつに批判できない。
大人になって、ついその場の勢いで決まってしまうけど、後で冷静に考えたらなんでそんな態度なのか分からないことによく出会うし、自分でもやってしまいがち。それでも責任をとるところまで詰められないから、この手の流されて決まるような衆愚はなくならないのかもしれませんね。
『パーキンソンの法則』はもう新刊では売られていないのだろうか。1950年代の本なので訳が古めかしいのもまた笑いのつぼです。

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