現行の光文社古典新訳文庫版『失われた時を求めて』を6冊まで読み終えて、次はどうしようとアンケートをとったら全部読めって言われた。
まったくみんな、人ごとだと思って。
光文社古典新訳文庫のプルーストがあと1巻で読み終わってしまうのですが、この先生きのこるには
— おおた@迷苔会🍺 (@uporeke) April 20, 2020
小説は順番に読みたいので『消え去ったアルベルチーヌ』は後にとっておいた。6巻と直接続いているわけではないのでずっと躊躇っていたけれども、同じ翻訳者の文章を先に読むべきと覚悟して読む。
そしたらめちゃくちゃだった。5巻あたりからうっすら語り手のボケぷりが目立つ気はしていたのだけど、ここではボケ全開の危険地帯なので、思わず声に出して笑ってしまう。
プルーストって笑う小説なのだろうか? プルーストで笑っていいのかな?
記憶が、マドレーヌが、と有名になった部分で語られるからまじめで高尚な文学という先入観を拭い去ることができなかったが、ことここにきてこれは笑いでしかなかった。
4巻あたりでアルベルチーヌに出会うけれども恋人までに至らず、6巻の終わりからどうやってアルベルチーヌと再会したのかは分からないまま、別れ話になっている。
ちょっと会ってない友人と、
「あいつにふられちゃった」
「えっ、つきあってたの?」
みたいな会話そのまま。しょうがないなー、で、なんでふられたわけ?
第一、アルベルチーヌ自身それを望んでいるはずで、毎日私が何かしら新しい快楽を提供すれば、彼女の言う自由に日ごとに制限をつけることは容易であり、そうなれば彼女は自由など求めはしないのではないか。
あー、束縛かー。そりゃ嫌われるよね。さらにアルベルチーヌは別の人が好きみたい。それじゃしょうがないよ、諦めたら。
そういうわたしの忠告には一切耳を貸さず、ありとあらゆる手段でアルベルチーヌを引き戻そうとする(合間に幼女がらみで警察のご厄介にもなる)。
そこでサン・ルーの出番なのですが、ここがドラえもんとのび太の失敗談そのままのテイスト。
こっそりアルベルチーヌの親族を懐柔して欲しいと大金を渡されて潜入するサン・ルーは、不幸にもアルベルチーヌに見つかってしまう。優秀な軍人なのに潜入へたくそか。それでも、自発的に協力してくれたサン・ルーはいいやつ。
そこへ怒り心頭の一言、
私はサン・ルーを恨んだ。
ろくでなしのボンボンか。
でも不思議とダメなやつの話ほどおもしろい。
こんなご時世だから、Stay home, Read Proust、です。
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