コケカツ(105)

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いよいよ光文社古典新訳文庫版のプルーストが佳境に入ってきて、残りは6巻と『消え去ったアルベルチーヌ』を残すのみ。これまでのペースだと2年に1冊翻訳が出ているので、今年あたり7巻が出るのではないか。いずれにしても亀のようなわたしの読書速度でも追いついてしまうのは必定なので、いずれちくま文庫か岩波文庫に鞍替えしないといけない。

この連休(とても短いけれども、誰も文句を言わない短い連休)には、厚みの(比較的)ない『消え去ったアルベルチーヌ』まで読了したい。
まずは先週届いた『プルーストを読む生活2』を数日分読んで、プルーストを読める身体にならす。同じ本を楽しく読んだ人がいるという薄い共感を身に纏ってから、本編に入るようにしている。1日分ですらりとプルーストに入れることもあれば、おもしろくてずっと読み続けてしまうこともあるけど、プルーストの幕開けに最適な本だと信じて疑わない。

名著・大著の類いは研究書という体裁はあるけれども、こうして共に読むという姿勢を見せてくれる本はあまりない。さすがにプルーストはけっこうありそうだけど、気軽に入手できない本も多い。
知ってる限りだと友田とん『「百年の孤独」を代わりに読む』もそうだけど、1冊まるごと1つの本に寄り添うって案外ありそうでなくて、需要のあるスタイルなのでは。
たとえば、桜庭一樹の本に関するエッセイは大好きだけど、エッセイ1つにつき1冊以上を扱う、それがふつうのスタイルだと思う。
書評があまり顧みられないのは、書かれている内容が簡潔すぎて、読者にとって短すぎるからかも。書評集とか便利だけど毎日読みたくなるものはあまりない。紹介されている本への熱量が分散されてしまう。1冊で1冊のことを語る、それも楽しく人柄が感じられるように、という本が求められるのは、気軽に出歩けなくなって出会えなくなったわたしたちの当然の需要なのかもしれない。

ドレフュス事件で四面楚歌の上に、愛人にも逃げられて自己批判するサン・ルーのしょんぼり具合に「そうだよなー、つらいよなー」とただ寄り添うように読んでいます。
人種や身分をこえて共感できる善の人サン・ルーにはしあわせになってもらいたい。今から見ると人種で差別する当時の貴族階級は人でなしだなと思うけれども、自分だっていろいろな偏見に満ちていて、100年後の人たちから最低だ(いや、今でも最低だと思われているかも)と糾弾される生き方をしているのだろう。だから、100年後の人たちに怒られないように、なるべくたくさんの人がしあわせになれる世界になるよう、生きていかないといけないんだよな。こんな倫理的な読み方はプルーストらしくないかもだけど。

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