『プルーストを読む生活2』を入手し、マラソンの伴走者を得たように、わたしの読書も6巻がたったったと好調に進んでいく。
サロンの性格を説明しているあたりはたいそう退屈だったが、いつしかゲルマント公爵夫人のサロンに入りこんで、公爵夫人の傍若無人さや夫の慇懃無礼、おどおどした歴史学者やその他外野たちの会話にとりこまれていく。これがサロンの愉悦……!
話題はやがて卑近な誰それの動向から、ドレフュス事件へと至り、甥のサン・ルーがやらかしたことへと続く。当時の社交界ではドレフュスを擁護する者は軍隊なみに孤立無援で、サン・ルーの欠席裁判の様相を呈してくる。100年後、ユダヤ人迫害からイスラエル建国を経た世界に生きている一読者として、誰が良い/悪いと言い切れない問題ではある。それでも前の巻で語り手を大事にしてくれたサン・ルーが悪し様に言われ続けるのはこころ穏やかにいられない。プルースト自身もドレフュス事件にはのめりこんで裁判を傍聴した。彼はこの場面を書きながらどんな気持ちだったのだろう。
ゲルマント公爵夫人のサロンに集まっている人たちは、事件への意見があまり変わらない人たちばかり。いわば仮想敵を作って増長していくところ、ゲルマント公爵夫人がどちらの意見にも与したくなくて敢えて反対意見を投じる。主催なので表立って非難されるわけでもなく、会話に火をつける意味合いがある。
一方で、ゲルマント公爵夫人の本当の性質は以下の台詞に表れている。
第一、わたくしのまわりにユダヤ人はおりませんし、幸い今のように何も知らないまま時が経てばいいと思っているからですけれど。
こうして自分の世界を大切にする一方で、ユダヤ人の店では買い物しないとかいうわけではない。自分が求める心地よい世界を一心に守りたいだけ。
わたしたちだってインターネットでたくさんの人と知り合ってるつもりだけど、オンラインで飲み会したり実際家に招いたりする人は僅かだ。縄張り意識があるのは生き物の自然なあり方かもしれない、そこに排他性と攻撃性が加わってしまうのが問題で、解決するには対話くらいしかないのだろうか。
200ページまでサロンのさまざまな会話が続くが、ここにきてようやく語り手の白昼夢のような、世界と隔絶された長々しい描写が戻ってきた。こうでないと。
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