コケカツ(103)

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「誘惑に陥らないように祈りなさい。」誘惑されるのは危険だ。そして誘惑される人々がいるのは、彼らが祈らないからだ。(パスカル『パンセ』B23-550)

キリスト教に限らず宗教に帰依することには限りない恐怖がある。自分が自分でなくなるような、判断を全て預けてしまって、現世で受けられる楽しみや発見を一切なげうってしまわなければ得られない境地にこそ危険があるとわたしは思っている。たぶん無宗教と日本で言われる層にあてはまるのだろう。

一方でシモーヌ・ヴェイユが、

どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られるものではなくなることによって、完全に美しくなれますように。

と、自分が美しいものを汚している存在だというのも分かるような気がする。
電気を使い不自由のない生活を送れる一方で、そのために数多くの犠牲を出している。
わたしごときの生活のためにこれほど手厚い保護はいらないと思う割に、ちょっとの暑さ寒さで悲しくなってエアコンのスイッチを入れてしまう。

こういうことは祈りがあれば耐えしのげることなのだろうか?

存在するものは何ひとつとして、絶対的な意味では、愛するにあたいしない。
だから、存在していないものを、愛さねばならない。

わたしがこの境地に至ることはできないと思う。それでも、そうだよなとも思ってしまう。

結局のところ、「私たちは、そこまでたどり着くと、その先を見はじめる。精神のとめどのない動きを止められるものは何もない。例外のない規則はなく、どんな局面でも妥当するほど普遍的な真理はない」(『パンセ』B23-574)。何かしらに追われて、平安を取り戻すためにしばしば祈っても、また別の何かに追われて生涯を終える。
わたしはいろいろなものに追われてきて祈る暇もなかった。これから祈りながら生きていけるだろうか、それがとてもこわい。

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