コケカツ(99)奥山淳志『庭とエスキース』

『庭とエスキース』 book
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手に取ったとき、みすず書房らしからぬ本に思えました。もちろんみすず書房はエッセイなども出しているけれども、ソフトカバーで写真が入っていると別の出版社の本に見えます。
本書は写真家の著者が、北海道の新十津川に暮らす自給自足の「弁造さん」を尋ね、写真を撮り対話を交わした追想録。北海道の庭の写真を先に見てしまい、広葉樹生い茂る庭では苔はあまり生えないだろう、ましてわたしの求める苔類は少ないにちがいない。

もちろん本書は苔に関する本ではなく、弁造さんの独特な哲学、そして事情により絵筆を折った後の絵に向き合う姿勢、開拓した北海道の大地で自給自足する姿を一人の写真家がどう受け止めたかを描く。
エッセイともちがうし伝記ともちがう。偉人と呼ばれるような人ではないが、他人に流されずに自分の工夫で自給自足しながら90代まで生きた人というのは稀に思う。弁造さんとの出会いは仕事を通じた偶然だったが、出会うべくして出会った二人(と一匹)。

豪快なようで鳥をすべて「小鳥」と呼び餌を準備しておく優しさ。自給自足については大胆に工夫するのに、若いときからやってきた絵筆をとるのは躊躇する繊細さ。
特にエスキースの線を自負していた弁造さんにとって、自分の絵が若い頃と同じように描けないことは相当なストレスだったのではないか。できたことができなくなるというのは恐ろしい。ましてそれが自分のアイデンティティとも言えるような所業ならば、老いやブランクを認めたくないのではないだろうか。

昭和くらいまではこういう独り者の知恵も、地域コミュニティで活かされる場があったように思う。まして歴史が比較的浅い北海道なら、新しい知恵・工夫がうまくいくのであれば、地域で採用されることもあっただろうし、そんな話も出てくる(相手にされなかったようだけど)。
わたしの実家周辺はほとんどが兼業農家で、田植え・刈り取りは近所の力を借りていた。今はさらに人が減り、余力のある家がついでに老人しかいない家の草取りや農業を手伝っている。それも精々あと10〜20年くらいで、本格的な過疎地域になるのが見えてきている。それに対して誰も何も手を打てず、わたしが年金をもらう頃には何人残っているのだろう。
わたしが家を離れてから猪が代わりに山にやってきたそうだ。過疎が進んで人がいなくなったら猪が村の頂点に立つのだろうか。

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