コケカツ(94)ゼーバルト『アウステルリッツ』母親を探して

ゼーバルト『アウステルリッツ』新装版 book
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アウステルリッツの語りは自分が説教師の養子だったことから、謎に包まれていた養子以前の記憶へと移っていく。そのきっかけは建築を研究していたにもかかわらず、執筆が完全に止まってしまい書くことがつらくなってしまったことだ。住居近くの駅工事現場で掘り出された骸骨、何本もの路線が走る地図、駅待合室で唐突に訪れた養子時代の記憶。世界を拒絶しつつあるアウステルリッツに、運命的なラジオの音が聞こえてくる。それは4歳にもならない時に「プラハ」と名付けられた連絡船に乗せられて、生母と生き別れになった自分のことだった。

生き別れの母親という設定は、過去の少女マンガで散々聞かされて個人的には全く関心が持てない。本書でもアウステルリッツの拘りが理解できたわけではなく、50過ぎて実母捜しというのは、今までの人生もうちょっとちゃんとしとこ、という気持ちになる。
ただ、ラジオから偶然に聞こえてきた情報が自分の根幹に響くというのは美しい。鬱状態にあった自分を取り戻すきっかけが偶然というのは、この物語の場合安直には見えず、暗闇の中に輝く一条の光だ。アンソニー・ドーア『すべての見えない光』の献身的な二人を思い出した。

母を探して生まれ故郷に戻るアウステルリッツ。戻ってから係累を探すためにとる行動は、内心の狼狽とはうらはらに知的かつ運命に縋る気持ちが出ていて、両手を握りしめて応援したくなります。
わたしは運命に導かれて努力する人に憧れてしまうようで、アウステルリッツとSHIROBAKOにはかなり近さを感じています。孤独の葛藤から抜け出して、周囲の協力を得て目的を達成する姿に弱い。子どもの頃、映画「メジャーリーグ」のラスト、チャーリー・シーンがマウンドに上がる場面で泣いてて級友に笑われたことがあります。自分でもなんで泣くのか不思議だったけど、そういうことだったのか。
アウステルリッツは隣人のヴェラに出会い、当時の記憶を取り戻していく一方、母の行方を追ってあちこち調べる。彼の記憶が戻ってくるにつれて初老のはずなのに初々しさ、幼少期の煌めきを伴った思い出が蘇る部分は、プルーストにも通じているように思います。こういうところがとても好き。

一方で母親の記憶をたぐるほどにナチスドイツの非道ももれなくついてきてしまう。なまじ明瞭な記録がつけられていたために、犠牲者の足跡をたどることができてしまう。
今から見るとある民族を根絶やしにすることで得られるものが何なのか、先のことを何も考えずに概念だけが一人歩きした指令だったように思えます。
そんな頼りない概念に数え切れない人々が翻弄されて、人生を台無しにした。今の「他者を無闇に攻撃してはいけない」という倫理観はこのあたりが土台になっているのかもしれない、と思います。

語り手とアウステルリッツは対話のはずが、いつの間にかアウステルリッツの一人語りになっているようで、語り手とアウステルリッツの境界が曖昧になり、音のない白黒の映像を見ているような気持ちになります。掲載されている写真がモノクロというのもありますが、微細な描写と静かな空気がトーキー映画のようにも思えるのです。
音もなく消えていくような終盤含め、これから何度も読み返し、この空気を吸いたいと思える本はそれほどありません。いつまでも大切にしたい一冊です。

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