コケカツ(85)好きと名作の間

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すばらしい作品と思っても、一度見たり読んだりしたら十分だなと思う作品を「名作」と言っていいのか。何度も見返したくなる作品は好きと言い切れるけど、そうでないものを「名作」と言っていいのか、自分には葛藤がある。

書籍だと、プルーストはたぶん何度も読み返したくなる。今は光文社古典新訳文庫の高遠訳が分かりやすく親切な註を追いかけているけど、より直接的で原文同様改行がないスパルタさが持ち味のちくま文庫訳も読んでみたいし、同じく分かりやすいと噂の岩波文庫版とは読みやすさの秘訣を解き明かすために読み比べてみたい。5巻を読むのに1年近くかかってるのに読み比べるなんて遠い未来の話だけども。

最近読み始めたドストエフスキーは一度読んだらしばらくいいかなってなる。江川卓訳『悪霊』がどうにもこうにも苦手で、登場人物がみんな「!」で終わるようなテンションの高い会話をしているのがつらい。ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ。居候で×2のステパン氏はろくになにもせずワルワーラ夫人に養ってもらい、大飯を食らって賭け事に耽り自分の土地を売り飛ばしてしまう。ここですでに許せないタイプの人物。さらに追い討ちをかけるように30歳以上離れた娘との結婚をワルワーラ夫人に持ちかけられると(ワルワーラ夫人もこんな男にせっせと世話を焼くなんてどうかしている)、「自分だけ知らされなかった!」と拗ね始める。なんやねんこいつ。これだけお膳立てされた人生に何の文句がある?
『悪霊』の本題はワルワーラ夫人の息子スタヴローギンの社会不適合ぶりらしいので、こんなところで躓いていてはいけないのだけど、このテンションの高さにどうにもついていけない。名作と呼ばれていても無理なものもある。

映画「この世界の片隅に」は映画館で見て、すごいとは思うのだけど好きにはなれなかった。そもそも太平洋戦争を題材にしたものは運命の残酷さに滅入ってしまう。他人事・過去のこととして客観的に見ることができず、人間の愚かしさと残酷さに良い心の持ち主が虐げられるのを見ると、自力で抜け出すことができないのが自明で、それがつらい。こういう作品は何度も見ることができない。「まどマギ」なんかも同じカテゴリ。名作と呼ばれる作品でも、登場人物の力によって自由を勝ち取れない世界を描いているとき、苦い気持ちになってしまう。

名作の定義なんて人それぞれだけど、自分の許容範囲がそこからけっこう外れていると、良さの基準が共有できなくて対話にならないのではないかと不安になる。わたしの語彙力がないのがそもそもの問題ではあるのだけど、苦手と嫌いをごっちゃにしないように気をつけて言葉にしたい。

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