コケカツ(78)中村江里『戦争とトラウマ』

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あまり歴史の本を読まないのだけど、これは抜群におもしろい。戦争を通して精神病になった人たちの記録がきちんと調査されている。研究書なので堅い文章だけど読みづらくはない。
戦争のストレスが精神病を引き起こすって当然のことなんだけど、考えたことがなかった。子どもの頃に読んだ戦争まんが(まさにトラウマ)では、手榴弾渡されて村ごと自爆したり、南方で餓死するような話ばかりだったので、病院というのはそもそもなくて、あっても外傷を治す場所という思い込みがあった。
本書でも南方に行った人たちの収容者数は少なくて、移送に原因があると記されている。でも、WW1くらいからドイツで戦争と精神病との分析がなされていて、その影響で日本でも研究されてはいたらしい。

日本で「戦争神経症」が研究されていても、それがすぐ今の心療内科のような形をとるわけではない。基本的には戦争のために研究されているのだから、戦争で役に立つ人間が増えるように仕向けられる。

大戦名物の「砲弾病」皇軍には皆無

満州事変以降の皇軍意識の高唱と「日本精神」の強調の流れの中で、日本軍には恐怖・不安が原因で戦争神経症になる将兵はいるはずもないとされたのである。

むちゃくちゃや。当時も精神病なんて知らない人と、「日本の医療は最先端なのだから精神病治療ができるはずだ」と、人によって知識がまちまちだったらしい。

きちんと研究していた人(内山雄二郎『戦場心理学』)はこんな言葉を遺している。

そのような教育が被教育者の独学に任されているに留まらず、教育者の側が「常に伝説的武勇と社会学的詭弁とによりまして、戦場に於ける勇怯の問題に就ては誤つたる観念を鼓吹して」いるからである。(p.35)

要するに教育者が嘘にまみれた自慢ばかりで教育できてないということ。1930年になされた主張とは思えないくらい現代ぽさがある。裏返すと当時からわたしの若いころまでずっと教育はこんな感じだったように思う。先生や親は自分ができるのだから子どももできるようになる、というのを疑いなく強制されて、そこから外れると「できない子」という烙印を押されて期待されなくなる。わたしの親がこういう感じだったので、その時の観念がまだわたしの中に残っていて、教わることがこわい。質問することで怒られるのではないか、見下されるのではないかという不安が強い。

父は特攻隊に志願したが戦争が終わって行くことができなかったと語っていた。本当かどうかは分からないし、心底どうでもいい。
ただ、特攻隊がすばらしいという観念は常に持ち続けていて、右翼的な思想に浸っていた。小学3年のとき、家の駐車場に右翼の街宣車が停まっていた時はさすがにびっくりして、じろじろ眺め回した。大人はこの車が何に使われるものか教えてくれなかった。父が乗ったわけではなく、同じ町内の人に頼まれて置いていたようだが、その家にも広い駐車場があったので、隠し場所として我が家が使われたのかもしれない。

不幸にもわたしには右翼的な観念には染まることなく、父が死ぬまで、死んだ後もひたすら彼が信じた観念を嫌い続けている。
当時この本を読むだけの知識はわたしにはなかったが、父の観念は「伝説的武勇と社会学的詭弁」にまみれているのだから気にしなくていいと言ってくれる人がいたら、わたしはもう少し素直に生きることができただろうか。

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