コケカツ(76)アルバムのジャケットをiTunesに設定してたら日が暮れた

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Macを変えたら光デジタルで音声を出力できなくなっていて(2014年くらいからできなくなっていたらしい)、今のスピーカーに合わせるケーブルを見つけられない。アンプを挟めばいいのかもしれないけど、そこまで拘るならもっとシンプルにしたい。某電気店まで出向いていろいろスピーカーの音質を確かめにでかける。
感染症が流行しかけているのに、電車の混雑具合はいつもと同じだ。自分や身近な人が感染するまでは結局他人事としか思えない。これは誰が悪いわけでもなく、人間の認知技術の限界なんじゃないかな。手洗いとかマスクをして最低限の予防をしたら、後はふつうに暮らすしかない。正しいことをどれだけ言っても理解できないことはある。

イヤホンやヘッドホンはSonyが気に入っているので、スピーカーもSonyにしよう。幸いBluetoothを自由に接続して試せるぞ、と再生してみたけど、店内の「いらっしゃいませー」という声や「ヨドバシカメラ!」という放送がうるさくて、音質を比べるなんてことはできない。なんでスピーカー置いてるフロアまで大音量で店のCMを流しているのだろう、あのCMが流れていると購買率が上がるという調査でもしたのだろうか。

イヤホンもそうだけど、スピーカーもわたしが20世紀に慣れ親しんだブランドが軒なみなくなっていて、KenwoodもOnkyoもPanasonicもFunaiもSansuiもない。自動車はあの頃走ってたメーカーが残っているのに、ミニコンポのメーカーがいなくなってるのは不思議だ。需要の差、技術に追いつけなかったと言われればそれまでかもしれないけど、さびしいのはまちがいない。あの頃の憧れ、今なら買えるのに存在しなくなっている。
かといって流行しかけているカセットテープには絶対戻りたくないんだから勝手なものだ。ハイポジとかメタルとか文字列だけで音質が決まっていた曖昧な世界には戻れない。

それにしてもどうして良い音楽を聴いたら救われるような気がしていたのだろう。何もかも音楽を「理解した」ら解決すると思っていた。
もちろん音楽では何も解決しない。スポーツでも音楽でも、エンターテインメントで個人的な何かが根本的に解決することなんてない、と分かったのは30歳を過ぎてからという手遅れ。

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