コケカツ(71)新しい音楽を探す熱意

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SpotifyでKirinjiを聞いた。久しぶりというか、山下達郎くらい以来で邦楽を聴こうと思って聴いてよかった。

amazon限定ジャケットとかあるんですね今は。最後にCDを買った日がいつなのかもう思い出せない。

Evernoteで自分の過去を振り返っていたら、2013年くらいまではラジオの録音にずいぶん力をいれていた。Youtubeで探すこともできたけど、FMラジオで流れる選曲を頼りに、自分が好きな音楽を探すのが楽しかった時期がありました。わたしにとっては1992年くらいに終わってしまったメタルの後、Jazz、R&B、Hip Hop、プログレ、各地の民族音楽の中でもブリティッシュフォークの可憐さなどに心を震わせてきた。

ラジオを聴かなくなったのは単純に録音機材が壊れたこと。Kenwoodのスピーカー付きCDコンポが2000年代には珍しくUSB接続で音声を出力できたのです。それをMacにつないで予約アプリを使って録音していました。もう型名も忘れてしまいましたが、秋葉原の某店で10000円以下の破格な値段で入手して、案外重くてびっくりしながらハンドキャリーして持ち帰りました。その後、にゃんこ先生が捉えた鼠がスピーカーの穴に逃げ込んでそれっきり見なかったのも良い思い出。ちゃんと脱出したのかな……。

ラジオはNHK-FMのピーター・バラカン〜ゴンチチの流れ、Inter FMやJ-waveなどをよく聴いていました。機材が壊れたこと以外にも、Radikoによっていつでも聴けるようになったことによる安心が、むしろ聴かなくなった一因かもしれません。
今ではSpotifyはじめ、聴きたい音楽はいつでもそれなりに高音質で再生できるようになりました。簡単に探せるからこそ探さない、あまのじゃくとしか言いようがないのですが、探す熱意はまちがいなくぐっと落ち込みました。すぐに手に入るものはすぐ手に入れなくても平気、という安心感からの不感症になっているような気がします。

あとは年。年をとると特に新しい音楽を受容する気持ちはめっきり下がります。わたしたちの世代の親たちがみんな演歌を聴いていて、ロックやポップスを理解できないのと同じ構造なのだとようやくわかりました。まして昔は自分の守備範囲以外の音楽に触れる機会がないから、演歌ばかりになるのも仕方ない。

たぶんこれから先、音楽を聴いて我を忘れるほどうれしくなることってあんまりないと悲観している。そしてこういうことが音楽に限らず、いろいろな場面で新しい時代についていけなくなることがあるのだろう。そのときに自分の知識と経験で乗り越えられるか。自分の劣化というとひどく聞こえるけど、社会の常識に取り残された最初の一歩が音楽であるように思います。

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