コケカツ(65)『地下室の手記』は19世紀ロシアのひきこもりクソリプおじさん

ドストエフスキー『地下室の手記』 book

小中学校時代に図書館へ行く習慣がなかった。小学校時代はふだん図書館には鍵がかかっていて、先生を呼ばないと入れなかった! 今考えると直訴して改善してもらうべきだったと思うけど、残念ながらもう廃校になってしまっている。中学時代は暗黒時代だったので記憶がない。今だったらふつうに厨二病と診断されただろう、なんといっても愛読書がラブクラフトだったのだから!

中学になって本格的に読書に目覚めたけど、ほとんど文庫本だった。自分で買える本には限りがあって、なるべく安くたくさん読もうとしたら文庫を選ぶしかない。その頃にラブクラフトと同じくらい禍々しい表紙に出会ったのが、ドストエフスキー『地下室の手記』。売る気あるのかな? 今はさすがに表紙が変わりましたね。

何十回も読んで主人公のこじらせぶりを自分に重ね合わせていた。特に序盤の独白は、時にいいことも言う。

しかし、もしかしたら、正常な人間はもともと頭が弱いはずのものかもしれない。(p.17)

利益! だいたい利益とは何だ? 人間の利益とはそもそも何であるかを、正確無比に定義できる自信が、諸君にあるとでもいうのか? いや、それより、もしひょっとして、人間の利益はある場合には、人間が自分に有利なことではなく、不利なことを望む点にこそありうるし、むしろそれが当然だということになったら、どうなるのだ?

考えすぎて自縄自縛になるこのテイストが大好きだった。新年に江川卓の訳の卓越したことを語り合って、久しぶりに読もうと手に取ったら、インターネットが発達した今だからこそおもしろさが出てくる。

引きこもりだった語り手は久しぶりに外に出て同級生たちが集まる企画をたてているところに出くわす。自分も参加させろと迫るが、他の人たちは皆一様に嫌がっている。そりゃそうだ、めんどくさいから距離をおいていた人物が乗り込んできて混ぜてくれと言う、こんなにめんどくさいことがあるだろうか。あ、これクソリプ(失礼)だ。Twitterで望まれてもいないのにリプライする人、そのままじゃないか。すごいな、ドストエフスキー、2世紀前にこんな存在を描き出していた。

この後べろんべろんに酔っぱらって、同級生に決闘を挑もうと女郎部屋に乗り込むんですよ(しかも別れる前の同級生に金を借りてまで!)。同級生が見つからなくてふらふらしてたら若い娘さんをあてがわれて部屋に入り、あまつさえ娘さんに説教を始めるのです! これはすごいダメなおじさんだ。ダメの総決算、人生歳末大セール。

ダメおじさんの説教は、愛のある家庭を作れば幸せになれる、と、まるでどこかの会議の人みたいなことを言い出します。フェミニストならずとも頭を抱えたくなる。なんで幸せな家庭を作れもしない人がそんな説教をできるのか理解に苦しみますが、これは語り手が反面教師というドストエフスキーならではの描写。解説を読んだら本作から作風が変わり、日本の私小説でダメを晒す傾向につながっているそうです。なんでそんなところを真似するんだい?

『ジーザス・サン』や『拳闘士の休息』などダメ人間を描いた小説を好むわたしですが、ルーツがここにあったことを思い出しました。人はここまでダメになっても生きていける、ダメにならずに生きていけるはずなのに、誰かの前に出るとダメになってしまう自分をもてあます。わたしにも分かる気がしますが、さすがに40過ぎてこれはダメすぎるだろう……。自分の理想を追いかけすぎて屈折してしまうのは、おじさんに限らず陥る罠ですが、それでもここまでダメを貫く必要はあったのか、希望がまったく見えない悲しい手記でした。
江川卓訳のなめらかさと推進力に魅せられたところもあるので、『悪霊』『白痴』も読んでみます。

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