コケカツ(63)読書会は公開しない

蝋梅 book

Kindleのセールで買った『死を想う』、石牟礼道子の気が触れた祖母は晩年に白無垢の結婚衣装を出して手に取り(盲目なので手触りだけ)また戻すというのをくり返していたという。生涯で一番良かったことを思い出していたのだろうか。なんとはなしに自分のTweetやライフログを見返すことの安心感につながっているような気がする。

前に読書会について書いたことがあった。

いつも考えるけどやらないことが、読書会の公開。iPhoneで録音してテキストおこししたり、動画を撮って公開する可能性も考えたことはあるけど、やらない方がいいよなーって結論になる。というのはナマケの言い訳かもしれないけど。

一番大きな理由は、公開することが前提になると発言する内容が変わってしまうこと。スピヴァクのサバルタンの話を聞いた時も似てると思ったのだけど、本の感想は極力他から影響されずに個人の立場で発言されてほしい。発言が不特定多数に聞かれる可能性があるとそれだけで身構えてしまい、読んだそのままの感想が失われるように思う。感想を言語化するだけでも難しいことは承知の上で、思ったことをその場にいる人以外を考えずに話し合える場にしたい。

もう一つは、参加することの楽しさを知ってほしいから。Liveと一緒で行かないと体験できないことも大きな特徴だと思っている。多くても15人程度だけど、だからこそ全体の声を聞くことができて、全体に自分の声を届けることができる。

昨今の流行からは取り残された考え方だと思うし、他の人が読書会を公開することは全く問題ないと思う。ただわたしが主催する限りは、Webに公開される心配を全く感じずに話してほしい。読書は一人で孤独に行うもので、孤独を持ち合うような、信頼できる場がいいと思うのです。そこにその場にいない人に伝えるべきことはない。読んで、いる人だけで話す。案外、これが書店とかに求められてることじゃないかなーって思ってるんですよね。

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