書肆汽水域という耳慣れない出版社から出ている『これからの本屋』を読んだ。本屋の形態が思ってるよりずっと多くて驚く。エア書店とかフリーの書店員(現Pebbles Booksさんとか)とか、ある程度広いフロアと複数の書店員というイメージを払拭するような書店が多くて、いろいろ行ってみたいと憧れる。
本書の中でも時々言及されているように、人と人を本でつなぐのが理想の書店だとは思う。でもそれはとても大変で、意識高い人からタイトルを盛大にまちがえて覚えてくる人まであらゆる人の本を見つけて喜んでもらえるようにしないといけない。だからどうしても偏りが出てしまうものだし、通常イメージする書店は偏りが少ないように作られてると思う。医者は内科や耳鼻科のように分かれているのだから、書店ももっと分かれてしまっていいのかも。
なんて書いておいて、個人的に行きつけの書店とかあんまりない。地元の書店はなるべく使うし、いま読んでいる光文社プルーストもそこで新刊を買っている。古本屋できれいな本を見つけても敢えて買わないなんて、人生で初めてかも。そのくらい地元の書店を使ってるけど、別に書店員と話したりはしないんですよね。
「おっ、プルースト。なかなかやるねえ」なんて声をかけられても「あ、はぁ、どうも……」くらいしか言えない。
「岩波版もどうだい?」とか八百屋ちっくに勧められても、プルーストはおかわりするものじゃないから。
そもそも、わたしは読書はするけど、本屋があまり好きじゃないのかもしれない……。現時点では購入することだけでしか接点がないし、それ以上の関係を持つ可能性がちょっと見えにくい。早春書店さんのところで読書会をさせてもらったけど、書店の付き合い方としてはちょっと特殊だ。
わたしが書店をやるとしたら、店内に数匹の猫を放し(本が汚れる可能性があるから買い切りになる)うろうろさせる。本を買った人には5000円以上でちゅ〜るをプレゼント。猫とふれあうことができます。食べ過ぎてはいけないので1匹あたり1日1回の限定イベント、早い者勝ちだよ! 10000円以上で肉球スタンプが押せます。
本書を検索してたら内沼さんが『これからの本屋読本』をすべて無料で公開します。ってやっててすごい。無料だから中身が薄いなんてことなくて、「Talk 本屋として生きるということ」のあたりはとても興味深く読んでいる。書店員全員ができる話ではないけど、考え方に共鳴して客が来てくれて成り立ってる書店というのは素直に憧れてしまう。わたし自身はずっと編集者になりたかったけどなれなくて、でも内沼さんは「書店は編集だ」という。そういう切り取り方があるのか、と驚かされた。自宅が書店というのも、むかしは当然だったことなのに今ではすごく新鮮に映る。
自分が発信するものは内々に向けたメッセージかもしれないけど、パブリックなものもある程度保ちたい。両方がないといけないというのは、色んな店に行ってみてすごく感じます。
わたしの2020年の課題、「内輪であること」の回答がここにあった。両方を大切にしないとダメなんだな。交流したいわけではないけど、閉ざしてはいけない。
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