コケカツ(40)チャプスキ『収容所のプルースト』再読

Bryophytes

コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。

プルースト4巻目に入るにあたって、読むきっかけになった『収容所のプルースト』を再読してみる。収容所でテキストなしにプルーストについて語るなんてことができるのか!?と驚愕してから半年がたつ。3巻まで読んでプルーストのおもしろさがつかめてきたところで再読したらどんな印象になるか。

半分まで読んで、収容所内の講義という形式通り、プルーストについての「情報」が多いことに気づく。ラスキンやベルクソンからの影響、母の死と作中の祖母の死の対比など、プルースト自身と作品を重ねて語られる。個人的には作品と作者は分けて考えたいけど、本作の場合はかなり自伝的要素が含まれているので、作者の動向を無視しては語れない。一方で、家族同士の仲が良い環境ってわたしには想像しがたい。生まれ育った環境という経験は変えられないし、これから先上書きされることもないだろうから、プルーストと母(作中では祖母)の関係がちょっと不気味。読んでいる時は気にならないのだけど、第三者からこうして客観的に提示されると不穏な気持ちになってしまう。

ポーランド語訳の議論は興味深い。著者はポーランド語訳者と議論し、読みやすく一文を短くしたことについて反対する。でも、今の日本で刊行されている岩波文庫・光文社古典新訳文庫ともに一文を短くしていて、本来のプルーストが意図したものとはちがうわけだから、チャプスキが日本語を読めたら異を唱えるのかも。わたしが読んでいる光文社版はとても読みやすく楽しいので、一概に短くすることが悪とは思わないけれども、いずれ原文に即した長さの版も読まなければいけないとも思う。

書籍の点数は年間5万点を越えようとしているのに、読者の数は劇的に増加したりしないし、個人が読む時間を作ることも難しくなりつつある。Twitterのような短くて情報の移り変わりが大きいテキストに目が移るのは仕方ないことだ。だからこそ、いわゆる名作の長文を読む力がないといけないとも思う。これはもうまったく説得力のない話で、ある程度名作を読んでいない自分が許せないという個人的な理由だ。教養がない人を侮蔑したりするわけではないけど、自分はそうなりたくない。3巻まで読んで、そして本書の存在が、『失われた時を求めて』を読了したいと願う大きな理由なのは変わりません。

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