コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。
海外文学の新刊も読みたいものだとジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』を地元の書店で『失われた時を求めて』4巻とともに購入する。先日亡くなったNBAの名コーチフリップ・ソーンダースという表記をBSで長年聞いていたので、ソーンダー「ズ」と濁る表記にちょっとなじめずにいる。テレビやラジオから聞こえてくる言葉は、思っているよりも自分の言葉選びに影響を与えていて、こういう時に戸惑う。
『十二月の十日』は正月の緩んだ空気を一掃してしまう力があるので、家の中では読まず、外で読むことにしている。他人から発せられる正月の幸せな空気を振り払うにはちょうどいい。めでたさとか無縁の書です。
2月15日(土)に本書で読書会をやります。きっかけは最初の「ビクトリー・ラン」のラスト。たった2ページでとても分かりやすいエンディングを迎えたのに、どうしてもそれが信じられない。他の人はここをどう解釈してるんだろう? この1編だけのために読書会をしたいと思った。きっと他の人もここの解釈悩んでるよね? 悩んでないならわたしは教わりたい。
「スパイダーヘッドからの逃走」「わが騎士道、轟沈せり」のように薬によって人格を変える話が印象深い。魂がどうこうじゃなく、脳内物質によってわたしたちは制御されてしまう実験動物たりえる話、けっこう好き。人権は大事なんだけれども、一方で脳内物質によって人間は簡単に支配できてしまうのも事実。「3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある」に近い考え方を、『十二月の十日』にも感じる。魂を云々する時代は終わったというか、人の推進力は魂から脳内の化学物質に変わったのかもしれません。
参加者募集中です。よろしくお願いします。
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