コケカツ(36)ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』のプルーストで新年

Bryophytes

コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。

新年あけましておめでとうございます。海外文学とコケについて今年も毎日書いていきます。

引き続きナボコフ『ヨーロッパ文学講義』を読んでいる。プルーストをこれから読もうという人にはとても参考になる話ばかり。1巻とかで挫折した方こそ手に取るべき。
文中にどのような比喩が使われているか、その比喩がどのような効果を持っているかを具体例で教えてくれる。こういう授業、受けてみたかった。いいなあ、1950年代のアメリカ人。

プルーストは印象の三つの層を描いている——(1)意識的な行為としての単純な記憶、(2)過去のある感覚を反復する現在の感覚によってかき立てられた古い記憶、(3)又借りで得たものであれ、他人の人生の思い出による知識。肝心な点は、ここでも過去を再構築するのに、単純な記憶だけに頼ることはできないということだ。

ナボコフによると、語り手は「私」だけでも、描かれている事象は家族や知人を通した印象を元に再構築されている、そうでないとスワンがオデットから締め出しをくった後で屋敷から漏れ出てくる灯りを「神秘的な黄金の果肉を圧し出したかのように」と苦しみながら美を見出すことはできない。詳しくないジャンルを丁寧に教えてもらって「なるほど!」とおもしろさが分かる感じ、かな。
ふつうわたしたちは(1)あるいは(2)の記憶でしか語らないけれども、(3)の他者の記憶によってプルーストの文章は多面的になる。多面的であることは世界の広がりを感じられること。いま思いつくのはフアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』くらいだけど、あれは個人よりももっと広い、村という共同体のこだまを反響する。他にもたくさんありそうだけど、プルーストとは何がちがうんだろう。

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