ハンナ・アーレント『人間の条件』をゆっくり読む(2)

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ハンナ・アーレントをよくアンナ・ハーレントとまちがいます。アンナの方がよくある名前だからでしょうか。

第一章 人間の条件では、よく用いられる3つの基本的な活動力が語られます。「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」ですが、労働と仕事という訳語はなんとなく労働の方が格調高いというか、堅苦しい表現で同じことを指しているように思えてなりません。

英語のworkにはある目的をもって、なすべきという自発的な意味があるようです。比較してlaborは労苦、苦心と、賃金を得るためだけのいやいやさがあります。日本語にはあまり2つの違いを感じられませんが、英語だと明確に語義が異なるというのは発見でした。仕事が楽しくて仕方がないという人のことをあまり直視できないのですが、そういう方にとってはworkなのでしょう。

3つめのactionの定義は以下の文章から始まります。

物あるいは事柄の介入なしに直接人と人の間で行われる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわり、地球上に生き世界に住むのが一人の人間manではなく、多数の人間menであるという事実に対応している。

難しい。「人と人の間で行われる唯一の活動力」というのは議論・対話などもそうですが、Apple製品のSiriとは対話もできそうです。そうすると対話は省かれるのでしょうか?

ヒントは以下にありそうです。

人間というものが、同じモデルを際限なく繰り返してできる再生産物にすぎず、その本性と本質はすべて同一で、他の物の本性や本質と同じように予見可能なものであるとするなら、どうだろう。

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を彷彿させるようなテキストです。当時の技術力では同質な人間を作り出すことが想定されていたようですが、生まれが均質であっても環境によって変化していく人間を「予見可能」と断言してしまっていいのか疑問に思います。「過去に生きた他人、現に生きている他人、将来生きるであろう他人とけっして同一ではない」ことは、本人には適用できないのでしょうか。SNSやテレビの影響で、それまで興味がなかった思想にかぶれて、熱狂的な賛美を送るような人に変わった場合、本性や本質はそれまでと同一と言えるのかここだけでは判断できませんでした。

次(p.21)は活動力と出生。laborやworkが人間の生命を保障する(社会を維持する)一方、actionは別の役割を持ちます。

活動は、それが政治体を創設し維持することができる限りは、記憶の条件、つまり、歴史の条件を作り出す。

workより上位の活動力は、単に物を作り出すだけではなく、政治へとつながっていき、それが受け継がれることによって歴史になってきた、ということでしょうか。

とりわけ活動は、出生という人間の条件に最も密接な関連をもつ。というのは、誕生に固有の新しい始まりが世界で感じられるのは、新来者が新しい事柄を始まる能力、つまり活動する能力をもっているからにほかならないからである。

子孫が生まれ教育を受けて技術が発達して多数の幸福につながることが社会全体のメリットである、だから子孫が生まれるのは喜ばしい、ということ?

あ、人間の条件というのは生まれたことだけじゃないそうです。

人間の生命に触れたり、人間の生命と持続した関係に入るものはすべて、ただちに人間存在の条件という性格をおびる。(中略)人間世界に自然に入りこんでくるもの、あるいは人間の努力によって引き入れられるものは、すべて、人間の条件の一部となるのである。

あれ、「物」が入ってる。どうやら人工・自然に関わらず「物」が人間を条件付けるという話になっています。苔を見ていてよく思うのが、ほとんどの苔は人間の役に立たない。最近は苔テラリウムや庭園に使われてファンも増えましたが、そうして人の前に引き出されるまではほとんど気づかれない存在でした。化石も残ってないし、肉眼で見えない種も多いので、本格的に記録されたのは18世紀くらいからのはず。でも、人間に認知されなくてもミズゴケはCO2を蓄え、森林の苔は裸地から木が生えるための保水の役割をしていた。そういうことは事実であっても人間が調査するまで分からない。こういうことはいつから人間の条件になるのでしょうか。

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