きっかけはボランティアでユダヤ人の本を読んだことがきっかけだった。ユダヤ人というと、アウシュビッツで迫害された人々だけど今ではメディアやIT業界に多くの名士を排出しているアメリカ・イスラエルを中心とした世界の黒幕、という通り一遍のイメージしかなかった。しかし、ユダヤ人の歴史を解説した本には、「黒幕」は陰謀論であって、そもそもユダヤ教には勤労の精神が根強く息づいており、お金を稼ぐことは神の道に従うことであり、勉強は神に近づくとして昔から奨励されていたのだそう。
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イスラエルに関する話はニュースでよく耳にして学校でも習ったけど、イスラームに関することを何一つ知らないことに気づいたのは、前の読書会でハサン・ブラーシム『死体展覧会』のおかげです。教科書やガイドブックに書かれているようなことはうっすら知識があるけれども、実際に彼らはどんな生活をしていて、イスラーム教はどのように根付いているのか。とっかかりに読んだのは(実に正しい一冊だと思います)井筒俊彦『イスラーム文化』でした。コーランというなじみがない書物を中心とした人々の営みについて短いながらもよくまとまった本で、誰でも一度は読んでおくべき一冊です。
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その後何冊かイスラーム関連の本を読みました。歴史的事実には相違ないのでしょうが、日本に暮らしている一般人には縁遠い名前ばかり。ビンラディンなどニュースで聞いた名前はともかく、イランとイラクがどちらなのかもわからないような浅学の徒にはお呼びでないとばかりのハードルの高い本ばかりを選んでしまいました。
今のイスラーム文化を生きる人たちがなにを考えてどんな生活をして、わたしと何がちがうのか。それを解決してくれるのは歴史書や政治関連書ではないのかもしれません。前に話題になっていた岡真理『アラブ、祈りとしての文学』に出会えたことは本当に幸運でしたし、アラブ文学を通して彼らがどのような境遇にありどのように考えているのかを(僅かながら)知ることができたように思います。
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すごく当たり前だけど見過ごしていたことに、戦争で何十人が亡くなったというニュースの背後には亡くなった人たちの無念、家族や友人の悲しみや怒り、たとえば爆発によって死んだのならそれに伴って建造物や自然が破壊されることも意味しているのでした。単純な数字で人の死を捉えてはいけない、数の大小に鈍感になってはいけないと気づかされました。さらに恐ろしいことに、イスラエル側はパレスチナ人を攻撃する際に大きなニュースにならないよう、毎日一定数の人数を殺害して日常化することに専念したというのです。この数ヶ月でイスラエルとパレスチナ人との争いについて新たな一面というか、より深く知ることができたように思います。時々、こんな感じである分野に限定して読書することは、息を止めてプールに潜っているようで水から顔を出したときの酸素の喜びのようなものを感じられます。
『アラブ、祈りとしての文学』は随所に文学がなしえること、イスラーム教を信仰し続ける人々の強さと弱さがアラブ文学を通して解説されます。これは自らの行動が自分の意思であるという西欧や日本とは大きく異なる考え方のようで、読書だけでは到達できない思想かもしれません。パレスチナ人側から見ると加害者であるユダヤ人は、一方でホロコーストの被害者でもあります。本書の中でイスラエルの爆撃によって子どもを残したまま避難した夫婦が20年後に家に戻ったところ、ホロコーストを生き延びたポーランドの女性によって自分の子どもが育てられていたという話があります。子どもは両親に向かって自分を育てたのはポーランドの女性であり、お前たちは20年間なにもしなかったではないかと断罪するのです。こんな悲劇があっていいのだろうか、小説のこととはいえ歴史上決してありえない話ではないのです。
イスラエルの人たちにとってパレスチナ人は「存在するはずのない人々」だそうで、彼らの論理ではイスラエルの国に住む権利がないということなのでしょう。一切譲歩のない「正しい」理論は、必ずまちがっているところがあるはずです。これまで多くの独裁政権が「正しい」理由で多くの人を殺害し、結果として民衆に倒されてきました。イスラエルの場合は愛国という論理で敵を作り出し、強大な武器とアメリカの後ろ盾などいろいろな要因があるのでおそらくこのままどちらかが倒れるまで戦い続けるのでしょう。だとしても戦争に関係ない無辜の民まで犠牲にしない方法はないものか。すべての問題に関わり続けることは一人の人間のキャパシティを越えていますが、それでも戦争に関わりたくない多くの人たちが自分の土地と確信できる場所で平和に暮らし続けることができる時代が来ることを願ってやみません。
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