わたしが生まれたときから猫が家にいました。全身黒でおとなしい「たま」。5歳の時に死んでしまったのであまり記憶はないのですが、死ぬときに風呂場の薪(そう、我が家は五右衛門風呂だったので薪で沸かしていたのです)があるところで、ある冬の朝死んでいました。母が「最期まで暖かいところを探したんだろうね」と言ったのをまだ覚えています。何歳だったのかは覚えていませんが、あまりじゃれたりする年ではなかったのかも。
次の猫は4年後に母の勤務先からやってきました。これも「たま」。こちらは生後半年くらいのやんちゃ盛りで家に居着かずあちこちで喧嘩傷を作ってきました。虎柄で体型もしゅっとしていてなかなかの美猫だった。こちらは数年で車にひかれて短い命を終えましたが、なんとなく実家には猫の毛が漂っていたように思いますし、岩合さんもおっしゃっていましたが猫がいる地域というのは「平和な風が吹いている」のだと思います。
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学生の頃から何も目標や目的がなくぼんやりとしていたわたしは、社会人になっても相応の体たらくで仕事もそれほど上達しませんでした。SFを読んだりラテンアメリカ文学に出会った頃に会社の屋根で鳴いていたのが14年連れ添ったにゃんこ先生でした。生後2ヶ月くらいだったでしょうか、仕事中ずっと鳴いているのに耐えられず「わたしが飼う」と宣言していろんな人のお世話になりペット同居可の家を見つけました。何度も転職を繰り返し出世もできない中、猫と一緒に暮らしていたのは半分義務だったように思います。放っておくと犯罪に走りかねないくらい倫理観の欠如していたわたしが、世の中をちゃんと渡っていかないとこの猫も路頭に迷わせることになると、絶対に犯罪だけは犯すまいと誓ったのです。そうなるともっと仕事ができるようになろうとかもっとお金を稼ごうとか欲が出てきて、とりあえず猫がいる間は職を失うことなく猫メシやトイレを供給し続けることができました。
いまは苔に興味はあるものの苔に対して「義務」や「責任」までは持ち得ていない。別に自分が生きていなくては生活できない動植物がいるわけではないということはわたしが生きている義務も別にないわけで、生きているのめんどくさいと時々思ったりもします。こういう感情久しぶりだ。猫と暮らしている間は意識していなくてもずっと義務感につきまとわれていたような気がする。それがなくなると自由という言い方になるのかもしれず、ヘリウムの入った風船のように浮いていられるうちはいいけど萎んでも誰も顧みない存在になったように思える。一応会社勤めをしていて遠方に親戚縁者はいるのだから全てから自由というわけではないけれども、「自由」になってみて果たして自分に向けた義務感だけで生きていけるものなのか不安もあります。
にゃんこ先生と暮らすために最低限やるべきことをやったし、いなくなったからといって他の猫を無理矢理譲り受けて暮らすほど猫に飢えているわけでもない。14年間猫と暮らしてきてそれなりに知識や経験はあるので、きっといずれ猫に呼ばれてしまうのだと思います。それは自分から積極的に動くのではなく、そういう時が来るのを地道に待つべきなのかと思います。
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