[amazonjs asin=”4003220447″ locale=”JP” title=”ヘンリー四世〈第1部〉 (岩波文庫)”]
あまり作家を好きになるということはなくて、ある作品は好きだけど別の作品はそれほどでもない、ということもそれなりにある。しかし、作家ではなく翻訳者や学者となると、その主張が好きだから読んでいるので、別の本を読んで「はずれ」と感じることは少ないように思う。今回はわたしの数少ない、翻訳者として一押し中野好夫先生の『ヘンリー四世』。これがすこぶる落語なのです。
15世紀、物語のタイトルになっているヘンリー四世が王となりイングランドを平定しつつある時代に、他の貴族たちが叛乱を企てる。いざ勝負となればいいが、物語の核となるヘンリー四世の息子ハルは札付きの悪者たちとつるむ放蕩息子になりはてて、戦争なんてできるのかと王の側近は不安になる。序盤はハルと、毒蝮三太夫のようなマシンガン悪口の持ち主ジョン・フォルスタッフが悪行三昧を繰り広げる。
なんといっても本書の魅力は古今亭志ん生の声で聞きたい江戸弁の数々。江戸弁のみならず、
爺っちゃんボーイの小春日和どん!(P.23)
おっと、待った、いけねえ! その手は桑名の焼はまぐりだ。(P.46)
というクラシックなあおり文句がつぎつぎと登場する。はじめは「これ、イギリスの話だよな……」とあっけにとられるが、次第に癖になってきて、おもしろワードが出てこないと物足りなく感じるようになる。
多情仏心なら、こいつァお太陽様(てんとうさま)のお手のもんだ、おかげでその甘口にな、バタの奴め、たちまちデレデレのデレ助ってていたらくさ。(P.69)
イングランドにとうとう仏様までやってくる始末。1969年の翻訳とはいえ、こんなに八方破れでいいのだろうかと心配になる。
箱根から西へは踏み出したこともない女みたいにな(P.106)
桑名に続いて箱根まで!
しかし、初めにも書いたように、本書は決して読みづらかったりつまらないわけではない。こういう揚げ足取りのようなおもしろさから、物語としての躍動感まですべてをきちんと備えている。そうなると、翻訳とはどうあるべきなのだろうか。数年前から刊行されている光文社古典新訳シリーズでも落語調だったりする翻訳が議論になることがあったが、いわゆる古典とされる名作については、いろいろな翻訳があってもいいように思う。本書が出た1960年代はこの訳され方が読みやすくフォルスタッフ他のキャラクターが分かりやすく提示されたのだろう。21世紀になると『ヘンリー四世』だけで4人以上の手によって翻訳がなされており、研究が進んでより正確な翻訳になっているはず。そうやって時代ごとに新しい翻訳が出ることで、日本語の変遷みたいなものも感じられるのではないか。なので、本書はきっと小田島訳や松岡訳と合わせて読むべき。
ともあれ、この台詞のまま舞台にかかっていたら見に行きたい。落語でもいいと思う。そのくらい語り口がおもしろいので、シェイクスピアはもちろん、中野好夫先生の著作はずっと読み続けていきたい。
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