アリソン・アトリーがいかにすばらしいかを引用する

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ずっとラテンアメリカ文学を中心に読んできたけれども、自分もいい年だ、本当に自分が好きな小説とは何かをきちんと見極めるべきだろう。もちろん、ラテンアメリカ文学特有の熱い消耗するような世界は大好きだ。でも、本棚がそれだけだとなんだか息苦しい。他にも気持ちが休まるような本や、何かを懐かしく思い出させてくれるような本があってもいいのではないか。年をとると、このように後ろ向きになるのだ。

子どもの頃にいわゆる児童文学にほとんど触れることができなかった。学校の図書館は上級生のたまり場になっていて小さい頃は入りにくく、高学年になってからは戦争漫画に明け暮れた。太平洋戦争を舞台に、比較的リアルな絵で描かれていたので、今でも戦争の残酷さについてはその絵で思い起こす。小さいうちというか、受容するこころの器が小さい時に残酷な描写を見せるのは、その時の経験からあまり賛成しない(未だに「火垂るの墓」はつらくて見ることができない)。

では、受容するこころの器を大きくするにはどうするか。恥ずかしい言葉だが、「愛」の存在をたくさん経験することだと思う。そういうものが薄い状態で厳しい現実ばかりを見せても、萎縮してしまってあまりいいことがなさそうだ。

話がずれたが、そういうわけで児童文学に触れてこなかったことを反省して、今年は岩波少年文庫の海外ものを中心に読んでいこうと思っている。そんな時に『指輪物語』の訳者として有名な瀬田貞二氏の講演を編集した中公新書『幼い子の文学』を読み、アリソン・アトリーに出会った。講演当時は翻訳されていなかったために試訳として掲載されていたが、さいわい岩波少年文庫として1998年に『時の旅人』をはじめ、グレイ・ラビットの物語も含めて刊行されている。その中でも「中学以上向け」と難しめの『時の旅人』を読んでみた。

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物語は、大都市ロンドンで暮らす中流階級の3兄妹のうち、末妹のペネロピーの視点から語られる。ロンドンで気管支を病んだペネロピーは、母の実家があるダービーシャーで転地療養をすることになる。古い屋敷で過ごすうちに、16世紀にタイムスリップできるようになり、スコットランド王女にまつわる悲劇に巻き込まれていく、というもの。

おじさんに馬車で迎えられ、おばさんに歓迎された後、荷物を置いて食事の前に顔と手を洗おうとする場面。

P.40 その水は、苔と紅葉した秋の木の葉を思わせるにおいがしました。

この一文だけで、この小説がすばらしいことが伝わる。苔贔屓を抜きにして、水のにおいにまで気が配られた繊細な語り口に感心するばかり。人工の気配がなくただ自然があるだけのところに、五感が発達しつつある子どもが足を踏み入れた時の新鮮な発見を共有することができる。

時間を飛び越えて過去にいったペネロピーは、屋敷の下働きの一員として認められるが、都会で培ったセンスと造形のうまさで、台所の下働きとして認められるようになる。やがて本来ならば出入りの許されない屋敷の貴族たちにさえ受け入れられていく。口をきいただけでも叱られておかしくない奥方と、時禱書をいっしょにめくる場面。

P.147 奥方はゆっくりとページをくり、私はよろこびのあまり息をつめて、その絵に見入りました。あざやかで豊かな青と深紅、そして、ずっしりとぬりこめられた金。

誰にでも一度は息を詰めてページをめくるほどに美しい本に出会ったことがあるはず。しかもそれを尊敬すべき大人と共有できる喜びは、いかばかりか。インターネットで情報をオンラインでやりとりすることができても、人の手で描かれた美しい本を同じ気持ちで同じ場所で眺めることができるというのは、未来永劫ヴァーチャルではありえないのではないかと思う。

P.205 「昔より代々の我がたすけよ」。その言葉は、教会の大きな塔そのものがつぶやいたように思われました。塔は何代も何代ものあいだ、そこで見張りをしてきたのでした。その壁のそばに立って助けを請う貧しい人々や裕福な人々を守ってきました。人々は目に見えないさまざまの敵と戦ってこなくてはならなかったのでした。

過去から戻ってきたペネロピーが、当時から残る屋敷の塔を見上げる場面。とあるまんがに「他人のために祈るというのは豊かなものだ」という感想があったが、まさにその通り。積み重ねられた歴史の中に存在し続けることの尊さを感じられる。

物語はハッピーエンドにならないことは最初から明示されている。しかし、それでも懸命に生きる人たちの美しい姿と背景の豊かな自然描写は、何度読み返してもすばらしい。最初に出版された1939年では新鮮だったろうが、いまとなってはゲームにもつけられるようなありきたりなタイトル。それでも、大人が読んでも十分に満足を与えてくれる一冊です。

実際に訪れている人のblogがあった。読了後に読むといっそう感慨深いものです。

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