本を大量に処分した

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↑読んでない。

この年末年始に大掃除に取り組んだ。もともとものが多くて、特に本については、所有する数が多ければ多いほど読むモチベーションになると信じてきた。本を集めることは善であり、良い本を安く手に入れることが自分にとって至善という価値観で10年以上過ごしてきた。

しかし、仕事の内容が編集からWebに変わって、自分の考え方も変わってきた。ものが多いというのはノイズが多いということでもある。自分が本当に望んでいるものが、ノイズにまぎれて見えなくなってしまうのではないか、という危惧が生まれた。何のために本をとっておくのか。未読の本はいつか読む日が来るので所有している。既読の本はいつか再読する日が来るので所有している。しかし、自分が読める本の冊数には限りがあるのではないか?

去年1年で読書メーターに記録した冊数は100冊を超えなかった。実用書のように読みやすい本が月に1冊くらいはあってもそのくらいの数字だ。だとしたら、家に置くべき本は何冊くらいか考えて、おおよそ200冊、本棚2棹分くらいだと判断した。

そうとなれば何を処分するか。10年以上ラテンアメリカ文学を読んできたのは、対外的には読んでいる人があまりいないカテゴリなので、すべての訳書をフォローできるのではないかとふんだのがはじまりだ。しかし、ここ数年はすごいペースで翻訳が出て、気づけばカブレラ・インファンテやガルシア=マルケスのような有名どころさえ追いかけられなくなっている。

あれ、そもそもわたしはなんのために本を読んでいるんだっけ?

他人に認められたくて読み始めたのが、正直に言うと最初の理由の一つだった。だけど、そうじゃない。本当の理由は自分にとっておもしろいかどうかであって、国籍とかジャンルがおもしろさを決めるわけではない。一人の作家でさえおもしろい作品もあれば、合わないと思う作品があったりもする。まずは本当におもしろいと思える作品だけ残そう。次に、この1年で読むであろう本を残そう。

では、処分する本は? ラテンアメリカ文学というだけで残していた本を処分することにした。レアな本もこれまでは所有する理由になっていたが、それは決して自分にとっておもしろい本であることとイコールではないから、レアであることが理由の本も処分する。もう一つ、古本や図書館で簡単に入手できる本も不要だ。幸い、東京でもしっかりした図書館がある地域に住んでいるし、図書館に関連したバイトもしているから、図書館へアクセスするのは普通の人より多い。

残した本は、

  • ナボコフ
  • ボルヘス
  • ディケンズ
  • ガルシア=マルケス
  • ジョン・クロウリー
  • ピーター・ディッキンスン

あたり(他にもっとたくさんあるけど)。わたしがきちんと理解できていないけどなんだかすごい、と思った本を残すことにした。あと何回か再読する「一生つきあう本」が、残す基準だ。

本を買うペースはこれまでとさほど変わらないと思う。でも、残すかどうかを判断するフェーズがこれからは加わる。残すべきではない、再読することはおそらくないと思ったら、その本は新刊でも古本でも家の棚に残ることはない。「残すかどうか」を読後に考える時間をきちんと組み込むのが、今年の課題。

↓いま、残すかどうか考えている本。これまでのジーン・ウルフのような楽しみ方が、現時点でできていないため。

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