第41回読書部 ジーン・ウルフ『ジーン・ウルフの記念日の本』

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ジーン・ウルフについては、これまで国書刊行会から出版されてきた『ケルベロス第五の首』、『デス博士の島その他の物語』、そして去年刊行された『ピース』とすべて読書会で取り上げてきたつもりだったが、『デス博士の島その他の物語』だけは取り上げていなかった。いつか再読して読書会やってもいいかも。個人的には『デス博士の島その他の物語』こそがジーン・ウルフ入門に最適だと思っていますので、本書でジーン・ウルフに出会った方は、ぜひ『デス博士の島その他の物語』も。

なお、ネタバレ全開ですので、未読の方はご注意ください。書き方や内容が雑なのは仕様です。

今回、『ジーン・ウルフの記念日の本』で参加者から人気が高かったのは、以下のあたり。

  • 「フォーレセン」
  • 「取り替え子」
  • 「カー・シニスター」
  • 「私はいかにして第二次世界大戦に敗れ、それがドイツの侵攻を防ぐのに役立ったか」

「フォーレセン」はあとがきにあるように名前によって世代が変わることが暗示されるが、AB→BC→CDではなく、AB→CD→EFではという指摘が。序盤にフォーレセンが属する社会のルールが数多く明記されるものの、それを破ってもさほど大きな罪に問われない肩すかし感が気になり、後半でも特に言及されなかったのが不思議。また、ウルフ自身がエンジニアとして工場で「生産性」を上げるように言われ続けたのだろう、現代日本との共通点を感じている人もいた。
わたし自身は「フォーレセン」が冷戦状態下で書かれたという印象が強くて、イスマイル・カダレ『夢宮殿』やカフカの諸作、もっと踏み込むと『エペペ』のように、場のルールから取り残されて一人彷徨うはみ出し者という印象が強い。

夢宮殿 (創元ライブラリ)

「取り替え子」は『ピース』に登場する「気狂いピート」(『ピース』P.67)の物語。語り手はP.277で「ピート」と呼ばれ、さらに知人の家に泊まると「ピーター」・パルミエリがいる。語り手の記憶のピーター・パルミエリはパルミエリ家の長男だったはずなのに、いつの間にか末っ子になっている。
ここではピーターがどのように存在し続けるのかについて注目が集まった。今はママの末っ子だが、マリアが帰ってきて子どもができる年になったら、気づいたらマリアの子どもとしてみんなに認識され、パルミエリ家に女性がいれば代々息子として存在し続けるのかもしれない。
ポールがずるをしたように見えるところはどういう解釈だったっけ? 他の子どもたちがポールを「軽蔑」したようなまなざしで見ることから、実際に石は島まで届いていないはず。なので、パルミエリ家だけがピーターの魔法にかかっているのかも。
パパ・パルミエリだけがなぜかピーターが自分の子どもではないことを知っていることについては、明確な理由は見いだせなかった。移り住んできたよそ者にはピーターがおかしいことに気づくのでは、という意見もあったが、それだとパルミエリ家がマリアとともにシカゴから移り住んできたことの説明がつかない。
語り手が洗脳されていることももちろんだが、ここでもカッソンズビルという街自体に規則があり、そこに語り手が入り込めていない。

ピース

「カー・シニスター」は笑えるという意見が多かったと思う。種馬役のアストン・マーティンはボンドカーでまちがいないはず。イギリスの車が雄で、アメリカの車が雌というのは意図がある設定か?

「鞭はいかにして復活したか」では緑と赤の象徴性がまずわからない。ソビエトが残っているので赤は共産主義としても、緑は何を表すか?
一方で、ラストにミス・ブッシュナンが着る青は、「サムシング・フォー」で花嫁が身につけるもの。さらに裁判沙汰になってから「本名が分かる」ことからブッシュナンの逮捕されている彼氏ブラッドは結婚詐欺師だという読み方をした参加者がいた。見事。ラストの手かせの妄想がホラーじみて見えるようになる。
根拠のある読み方ではないが、P.38に出てくる聖マクリナは婚約者が亡くなってから貞節を守りキリスト教初の修道女となっている。この後ブラッドが出所してブッシュナンの奴隷となり、結婚する前に亡くなるとしたら、ブッシュナンが聖マクリナの跡をたどって新しい修道女第一号になるのかも。

「養父」は67階の部屋が語り手ジョン・パーカーの前の家族ではなかったか説があった。
ジョンがなぜ67階の部屋が家賃を4カ月滞納していたか推理できたのは謎。
P.173に出てくる『トム・スウィフト』はシリーズとして以前邦訳があったらしい。サンリオのソフトカバーだとか。
場にトレッカーがいなかったので、ラストの解釈はあまりぴんとこなかった。YouTubeなどにアップされていればわかりやすかったかも。

トム・スイフトの宇宙冒険〈1〉宇宙植民都市 (1982年)

「ラファイエット飛行中隊よ、今日は休戦だ」では、塗料のドープが麻薬のドープにかけられて、幻覚が見えているのだ説があった。わたしは気球に乗っている女性は自由の女神で、第一次世界大戦中に実在したラファイエット飛行中隊がアメリカ人で構成されていて、フランスのために戦ったことの何らかの隠喩だと思っている。

「ラ・ベファーナ」のゾズが東方の三賢人であるとか、「溶ける」とボルヘスの短篇「アヴェロエスの探求」との類似とか、「ツリー会戦」のラストのこわさとか、「溶ける」のチベット人はダライ・ラマ? とか、「私はいかにして〜」でレースはどう走っているのか図解したり、日本車は「玩具のような」とあるから「TOY」OTAにちがいないという指摘があったり。4時間では語り尽くせない(特に「溶ける」のラストについて聞き逃したのが痛恨)!

次回読書会は7月12日(日)、課題図書はたぶんウィリアム・トレヴァー『恋と夏』になりそうですが、確定ではありません。

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