帰ってきて晩酌してそこそこの酒量に抑えられたら珈琲をいれる。安い豆だが自分で挽いてポップコーンのような香りの珈琲をいれたら、酒がまわっているのでもう『重力の虹』なんて無理だから、こういうときは詩集だ。買ってきたばかりの『中野重治詩集』旧い版なのでカバーがなくて帯のみ。通底には怒りと孤独と悲しみがひたひたと充ちているのだが、ふと「ぽろぽ」など愛らしい擬音を出してくると不意を突かれる。
たしか辻征夫が引用していたはず、というか現代詩については辻征夫くらいしか知らないので彼に間違いないだろうという愚者の確信で調べもせずに書くのだが、中野重治を引用したのが「女西洋人」で、老女に変わって窓を開けてやった西洋女性が礼を言われて赤くなるのを見て「悲しく」なるのだ。
どうしておれにはこんなことがいつもいつも悲しいんだろうなあ
こんなことを悲しがつているうちに
おれやひよつとしてどうにかなつてしまうんじやあるまいかなあ
ここまで眼光だけで虫をも殺すような言葉を連ねてきた詩人が、唐突に見せる柔らかい弱さに驚く。この後、「待つてろ極道地主めら」とののしり、共産党結党25周年にあふれんばかりの賛辞を送る詩人が見せる、この正直なか弱さに驚く。
しかし、わたしたちはみな中野重治のように、怒るところには渾身の阿吽のごとき怒りを見せ、弱っているときはひよこのように二本足ですら立てなくなったりもする。ただただ、中野重治は悲しさをじっと見つめて怒ったり悲しんだり弱ったり戦ったりしたのだ。
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