物語の受容

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なんて大げさなタイトル。
年をくって、というよりも昔から物語を全部まるごと受け止めるのが苦手。
もしかしたら人間関係が下手なのもそこに原因があるのかもしれない。

例えば映画。
行けばおもしろい、楽しめるのはまちがいない。
でも同時に行く前に疲れてしまう。
物語を受け止めるのに疲れるってなんだろう。
自分の認識している現実以外の現実を形作ることに脳みそを使うことが疲れるのだろうか。
映画館なら離脱することはまずないが、DVDなどではある程度見てから止めてしまって見なくなるということがある。
「隠し砦の三悪人」なんてテレビドラマ的に10回くらいに分けて見た。
全部一気に見ることで認識できないエピソードや細部が出てくることがこわい。
一方で分けて見ると細部を忘れる。
矛盾している。

ジーン・ウルフ『ピース』おもしろい。
語り手が幼少期を思い起こしているにも関わらず、時々社長である現在(?)の視点から語ってしまい、登場人物がそれに応対することがある。
舞台となる時間軸が3場くらいある。
それを解きほぐして自分なりの世界が作られていくのがおもしろい。
一方で100ページくらい読み続けると疲れてくる。
登場人物が多すぎて「さっきの話に出てきたっけ?」という疑問符が次々現れる。
メモリが処理しきれていない。
おれはWindows98だ。
512MB。

たぶんメモリなりHDDなりに情報を増やしていくと、新しい情報を書き足していくことが難しくなる。
一方でボルヘス先生やナボコフ先生のようにひたすら記憶を増やしていって美しい文章に昇華させる人もいる。
物語を読んで疲れる、という状況がつらい。
もっと惑溺したい。
耽溺したい。
ありとあらゆることを忘れて本に目を向けていたい。
もっと雑事を忘れなければならないのかもしれない。
料理をせず、風呂にも入らずに、没頭したい。
没頭しなければならない。
すべてを忘れよう。
すべてを受け入れよう。

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