蔵書を売ることにした


これまでもちょくちょく蔵書を処分してはいたのだが、今回は大々的に本棚1棹削る所存をここに表明いたします。周囲にすごいコレクター、それこそコレクターを代表するような人たちがわんさかいたので麻痺していたが、どうも世間ではモノを貯めこむことはそれほど推奨されていないようだということに最近気づいた。なぜモノを貯めこまないかというと、管理しきれないから。コレクターはきちんと管理しているのだ。わたしのようなずぼらな人間にとって、本を集めるとは無秩序を部屋に呼び込んでいるようなもので、それは部屋が散らかるのも無理はないのだ、と気がついた。

というわけで処分することにしたのだが、まずは見える場所にある本を片付けることに注力する。段ボールにしまってある本を掘り返していると余計に混沌が広がるので、見えるところを処分してから、見えないところにあるものを片付けるという段取りとする。値段のつくものはAmazonへ、つかないものは古本屋へ一括処分。値段の基準は500円とする。

とはいっても、新潮文庫のディケンズとか、ナボコフとか、ウィリアム・トレヴァーなんかはやっぱり売れないのであった。

最近では『2666』を手放した。数ヶ月かかって読み切り、みっちりと貼った小さな付箋は50枚くらいあったろうか。これを一枚一枚剥がしていくのは、乾いたかさぶたのような自分の記憶をペリペリと剥がしていくような感触だ。剥がしてしまった付箋はただの紙切れであり、『2666』の記憶はすでに失われている。そう考えると、本を処分するというのは何かしら自分の記憶を削りとっているような気持ちにさせられる。

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