ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(東京創元社)


今年のはじめに読んだ『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』は、タイトル通りユダヤ人の視点からナチスの迫害を描いた漫画で、晶文社が絶版にしているのが許せないくらいわかりやすくておもしろくて、描き手の葛藤が見える作品だった。ナチス政権下で迫害された父親の物語を、現実の父親から聞き取っているという体裁で、歴史と歴史を受け取る自分との両方を描いていた。本書は逆にナチスのユダヤ人虐殺計画の首謀者の視点から描いているが、書き手としての葛藤を交えているところに共通点を感じた。現在の倫理観では想像するだけでも耐えられないような残酷な歴史に向きあうというのはどういうことなのか、本書を読むことによって苦悩の一端を共有することになる。

折しも『はだしのゲン』に描かれる残酷な日本兵の描写を問題視して、学校図書館から閉架するように申し立てた事件があったところだ。伝聞によると日本兵の残酷な描写に意見した市民がいたためにとった措置だという。見えないところに置けば済む問題と考えているとしたら、非常に残念な考え方だ。日本人であろうが、ドイツ人であろうが、アメリカ人であろうが、人種など関係なく残酷な行為が何遍も繰り返されてきて、それらを反省したから今がある。目をつぶってしまっては見えるはずのことが見えなくなる。

本書はナチスの高官であり、ユダヤ人迫害の首謀者ハイドリヒの生い立ちから死までを描く。ただし、単に時間軸に沿って描くだけではない。著者のローラン・ビネは作中にたびたび顔を出し、ナチスについて調べている自分、ハイドリヒの行動に驚嘆する自分、ハイドリヒ暗殺を企てるチェコ人と彼らの立場になった自分の空想を描く。そして現実から離れて小説的なセリフ回しに酔いそうになる自分を常に批判し続ける。そのバランス感覚は読者の乗ったブランコを前後に揺らしてくれるようだ。物語に任せておくのではなく、事あるごとに読者にナチスのふるまい、チェコ人の勇気を突きつけてきて、「お前ならどうする?」と問い続けてくる。

単にハイドリヒを殺せば済むという話ではない。ユダヤ人虐殺組織と化したナチスは、この事件の見せしめとして情況証拠だけからたどりついた村人のほぼ全員を殺害し、家を焼き、ブルドーザーで跡形もなく平らにして地上から村そのものを消してしまう。わたしにはこの考え方がとてつもなく恐ろしく感じられる一方で、わたしたちの全てに同じような怒り、衝動が宿っているとおもう。嫌いな人間の存在を消し去りたいと思わない人間がいるだろうか。だからこそ、歴史を学び、自戒しなければならない。優しく心温かい日本兵もいれば、残酷で人を平気で裏切るような日本兵だっていたはずだ。人間を一色に染め上げようとする意見はまちがっているからこそ、民主主義が生まれてなるべく多くの意見を反映しようとしているのではないか。他者を攻撃するときにはまず己を振り返らなければならない。残酷さを書物で読めるからこそ、己は加担しないという学びがあるはずだ。本書も、『マウス』も、『はだしのゲン』も等しく読まれるべき、とおもったことです。

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