ナボコフ先生の視点をインストール


セサル・アイラ『わたしの物語』では正体不明の人物の語りを楽しみ、『2666』ではいつ終わるともしれないページ数と細く辿れる人物の関連に眼を細めたりした。しかし、どうも自分が欲している物語の形とは異なるような気がしている。いわゆる「物語にのれない」心理状況になってしまい、一刻も早くこのページを読み取って終わりにしたいだけの読書になっていた。こういうときは、これまでだったらしばらく本を読まずに別のことをすることで、飽和状態を解消していたのだが、今回はふと手にした『ナボコフのヨーロッパ文学講義』が方針を変えてくれた。

自分の読みだけに頼っているとどうしても偏りが出てしまう。別の視点から物語を捉え直すことで、自分と世界の差異を見つけてそこをおもしろがれるのではないか。そういうわけで、水先案内人をナボコフ先生にお願いして、『ナボコフのヨーロッパ文学講義』(もうすぐ河出文庫から『ナボコフの文学講義』で出直すそうです)、『ナボコフのロシア文学講義』に出てくる作品を読み、さらにナボコフ先生で答え合わせをするという読み方に2013年上半期は挑戦するつもり。ジェイン・オースティンの最近文庫化された『マンスフィールド・パーク』やディケンズ『荒涼館』は長いので後回しにして、既に読んでいるフロベール『ボヴァリー夫人』やカフカ『変身』や、短めなスティーブンソン『ジキル博士とハイド氏の不思議な事件』から始めています。ナボコフは『変身』の舞台の間取り図を描き、ザムザをスケッチして、彼が部屋の中でどのように逡巡したか、家族がどこまで足を踏み入れたかを視力で捉えようとしています。

そして巻末の試験問題! 『荒涼館』と『ボヴァリー夫人』について細部を掘り返し、どの場面でどのように技法が用いられているか20問程度の設問がある。単純にページをめくれば解決するものもあり、考えなければいけないものもある。それは単なる意地悪ではなく、物語をどこまで読み取れたか、何に気をつけて読むのかを明確に指し示す標識のようなものだ。単に物語の藪を手持ちの鉈で一歩一歩切り開くのではなく、標識に沿ってドライブしていくことで、快適で明晰な視点を得られるのではないか。

日々膨大な量の本が出版されているが、わたしに限っては今まで見聞してきた対象をより狭めて、より細かく読み解いていくことが読書なのだと思うようになったことです。

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