『2666』を読みながら心はロシア


『ロシアとソ連邦』『記憶の中のソ連―中央アジアの人々の生きた社会主義時代』を読んだ。普段読まないような社会主義について調べているのは、ソローキン『青い脂』から触発されているためだ。「なぜソ連の人々は同朋を大量に殺してまで社会主義という実験を進めなければいけなかったのか?」 誰しも一度くらいは心の中にきざしたことがあるこの問いに、いまさら取り組みだしている。とはいっても、ロシア人の知り合いがいるわけでもなく、本を数冊読んだだけでは到底理解できない問題であり、おそらくは相対的な見方に落ち着いてしまうのだろうなとも思う。ただ、今回読んでみた『記憶の中のソ連―中央アジアの人々の生きた社会主義時代』では著者が質問したいことを直接聞くのではなく、ウズベキスタン人の家族の中での語り合いを通じて聞き取るという手法をとっているので、単なるインタビューとは言えない内容を引き出していると思う。この手法はおもしろいし、時間や労力はかかるだろうけれども、語り手がより安心して言葉を発することができる環境を作ることは大切だと思った。岩波現代文庫にスターリンに関する本がけっこうあるようなので、今年の残りの読書は海外の新刊本とソ連の歴史に費やしたい。

海外の新刊といえば、今もっともあついのはロベルト・ボラーニョ『2666』だ。ようやく第1章を読み終える。正体を見せないノーベル文学賞候補作家を研究する若き4人が出会い、作家を探す。これまで翻訳されたボラーニョの単行本は一通り読んだが、その時にも感じた皮肉・逆説的なユーモア・素直になれない人々が他人と接しても孤独を感じずにはいられない様をこの作品でも表現されている。この本でこそ読書会をすべきかもしれないが、はたして何人集まるか不安なのと、以前にもボラーニョを取り上げたことがあるので、きっとやらない。

読書部では、読んでも自分が受け付けなかったり理解できたと思えない本を取り上げるべきだと思うので、ボラーニョやちょっと分野は異なるが大好きなウィリアム・トレヴァーやA・E・コッパードや新刊が出たばかりのリャマサーレスについては読書会に向かないと勝手に思い込んでいる、というよりは自己満足に浸りたいから自分が好きな本を取り上げる気がないのかもしれない。本当は自分が勝手に浸っている本こそを多面的に見ないといけないのかもしれないのだけど。同じ本について語る読書会がそれほど頻繁に行われないのは、自分の読みを共有することに価値を置かないという考え方の人が多い、ということなのだろうか。

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