コケカツ(14)テッド・チャン『息吹』その1

Bryophytes
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コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。

『人間の条件』を追求する読書会が終わり、しばらく難解な本から離れたい気分。でも、ずっと読みたかったテッド・チャン『息吹』がイージーな読書になるとはとても思えない。
日曜の朝に街へ出て、何よりもまず最初に『息吹』買えてうれしい。若い頃はずっと古本ばかり買ってきたけど、自分の読む速度を改めて測ってみると、週に多くて2冊程度。それならば新刊を買って、保存しておくべきでないと思ったら速やかに売り飛ばせばいい値段で買い取ってもらえる、とようやく気づけた。

テッド・チャン、なるべくネタバレないつもりで。

「商人と錬金術師の門」
見覚えある話だと思ったらSFマガジンで読んでいた。2009年、10年前。10年。
これはすごく好きな話で、雑多な雰囲気と王宮の厳かさ、話のすべてがイスラームらしさを感じられる。ボルヘスが好きそう。

「息吹」
「人」の生活をもっと退屈に300ページくらい書いてからこの短編になればもっとおもしろかった。「人」の生活がふんわりとしか描かれていなくて、もっと「人」の生活が読みたい。交換するときどんな話をするのか、マイボンベとかほしくなったりしないのか、そもそも誰がボンベに充填しているのか。生活に謎が多い、それだけでもっと読みたくなる。
プラトンの「洞窟」や今の温暖化と同じ構図でもある。えんとろP。
後半で身体がなくてもいいから意識をつないでいたいという願望が出てくるけど、わたしにはさっぱり理解できない。身体が動かずおもしろいことができないのに意識だけ残しておいて、誰と話し、何を思うのだろう。死の時にはすぱっと意識を切断して無感覚になりたい。
だから感動的と言われるラストも、「それはそうだけど、そんなに責任を負う必要ないのでは」と懐疑的に読んでしまった。SFの短篇は必要なところしか描かれてなくて、もっと膨らませることができる話が多いけど、アイデアを読ませるのだからこういう切り口になるのは仕方ないか。

「予期される未来」
車のエントリーボタンの比喩が21世紀。車から鍵がなくなったように、カーエントリーもいずれなくなって、携帯とか指紋とかに紐付けられるのかも。
絶対に先回りできないボタンのおもちゃで遊んでいるうちに、自由意思がなくなって生きる価値を失った人々を短いページで描く。これはもうそうだな、と納得するしかなく、短さがキレにつながっていて好きな話。

この後に続く「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」もそうだけど、設定だけだと炭酸入りコーヒーのように「納得いかないけど、そう言われたらそういうものかも」という引っかかりを感じることが多い。SF、向いてないのかな。

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