ハンナ・アーレント『人間の条件』をゆっくり読む(7)

Bryophytes
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いよいよ今日は『人間の条件』読書会。でも、再読完了できなかった……。

今日から第2章公的領域と私的領域。またポリスの話でしょ。理想的な生活は奴隷として労働する人々を前提としてる時点でちょっと受け入れがたい。でも、読みます。

<活動的生活>とは、なにごとかを行うことに積極的に係わっている場合の人間生活のことであるが、この生活は必ず、人びとと人工物の世界に根ざしており、その世界を棄て去ることも超越することもない。(p.43)

P.20「活動」の定義では、

活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、多数の人間 men であるという事実に対応している。(p.20)

物や事柄が介入しないのが「活動」で、人と人工物に根ざした積極的な行動が「活動的生活」。分かるような分からないような。「活動的生活」というのは舞台の設定で、「活動」は人(びと)による演技、ということかな? そうすると間接的に作用する書物や、Webの表現なども含まれてきそうだけど、「直接人と人との間で行われる活動力」という文が腑に落ちない。

たとえば労働という活動力は他者の存在を必要としない。(p.44)

えっ。
このあと「完全な孤独のうちに労働する存在は、もはや人間ではなく、まったく文字通りの意味で<労働する動物>」とまで言い切ります。
木の実や魚を採取して生き延びるだけのような存在を「労働する動物」と呼んでいるのだと思います。でも、労働は他者の存在を必要としない、というのはどういうことなのでしょう? 「活動力は他者の存在を必要としない」というのは、食べるための糧を得るだけの労働に他者の存在は必要なく、個人の生存本能だけで行動する力が生まれるということか。

言葉が運ぶ情報や伝達とはまったく別に、正しい瞬間に正しい言葉を見つけるということが活動であるということをも意味していた。(p.47)

活動は言葉のやりとり、それも瞬時に判断して相手に言葉を届ける必要がある。議論を前提にしているようです。このあたり、もう少し具体例を出してほしい。
ただ、それはそれとして、「正しい瞬間に正しい言葉を見つける」というのはとても難しく、うまくいけば発話者と聴衆の両方に満足を与える行動です。キング牧師の「I have a dream」のように名言として長く語り継がれることでしょう。一方で、国会で用意されたメモの内容を読み上げるしかできない(しかも読みを間違えて)、というのはとても活動とは言えなさそう。政治がただの労働になっていると言えそうです。

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