コケカツ(9)

シノブゴケの蒴 Bryophytes

コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。

週末にハンナ・アーレント『人間の条件』読書会に参加するので、今週はしっかり、しかし素早く読み込まないといけない。

『人間の条件』では人間の行動を活動>仕事>労働と順番付けをして、最下位の労働は単にメシを食うための単純労働と位置づけている。

労働 labor とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行い、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。(『人間の条件』p.19)

生命を維持するために費やす時間を「労働」として、似ている言葉の「仕事」と明確に分けている。書かれた1950年代当時と今の「労働」は世界のどこかではそれほど進歩してないかもしれないけど、こと日本やGDPの高いような国ではもっと価値があり、その価値を決めるのはハンナ・アーレントでもなければ自分でも他人でもなく、納税の有無とか客からの感謝とか、単純に消費されるだけという分け方は通用しないんじゃないすかね。

自分では気づけなかったけど、志水氏の翻訳も1970年代なので労働闘争とかの影響が今より強いのではないか、とは『入門講義』の仲正昌樹が指摘している。翻訳で使われる言葉も時代によって変わるのだという当然のことを改めて思い知る。哲学書では文章が古めかしくてもそれが当然という固定した観念が、わたしから離れない。難しくないと哲学じゃないと思い込んでいるようで、でも読んでみると難しくて読み進められない。何のために読んでいるんだろうと時々不思議になるけど、この年で読めなかったらきっと死ぬまで読めない、という危機感が強い推進力になっている。別に読まなくても誰も責めたりしないし、自分でもきっと忘れてしまう。でも、その忘れてしまうのがこわい。

進まないときは切り替えも必要だ、と読書会のことを一時棚に上げて、花田奈々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年のこと』を、帰りの電車で一気読みして、ちょっと泣く。新しい職場が見つかった時の安心感は、職種は違えどよく分かるので。あと、本に携わっている人がどのような形であれ、自分は幸運だと実感している場面は無条件に共感する。本を読む人すべてに幸あれ!

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