コケカツ(4)

チャボホラゴケモドキ Bryophytes

コケカツ!とは野山に分け入ってコケを見ること。撮るだけで採らない。

電車の中でニコニコというよりはニタァと笑い続ける人が目の前に座っていた。イヤホンをつけているからきっと落語でも聞いているのだろうと思うのだけど、他者が自分と無関係に笑っているというのは危機感を覚えさせるようにできているのではないか。というのも、まず思い出したのが曾我蕭白の「群仙図屏風」。右端の子どもに似ていた。屏風なら自分が立ち去れば不穏に見える笑顔も遠ざけることができるけど、電車の中ではそうもいかない。そういう時、読んでいる本の位置を変えて気になるものを視界に入らないようにするのが常だけど、読んでいた『プルーストを読む生活』では完全に遮ることができなかった。

曾我蕭白「群仙図屏風」一部

話してみたらなぜ笑っているか教えてもらえただろうか?

でもまあ、山の中でひとり彷徨っているわたしもきっと、お気に入りのチャボホラゴケモドキに無性芽がついてるのを見つけたりしたらニタァと笑っているにちがいない。

さる人に向って、みんなが感涙にむせんでいる説教になぜ涙をこぼさないかを尋ねると、その人は「私はこの教区の者ではありません」と答えた。この男が涙について考えたことは笑いについては一層真実であろう。どんなにあけすけなものと思っても、笑いは現実のあるいは仮想の他の笑い手たちとの或る合意の、殆ど共犯とでも言いたいものの、底意をひそめている。
ベルクソン『笑い』(岩波文庫)p.16

『笑い』は大学時代に哲学部の友人から名著だと言われて借りたものの、さっぱり理解できずに「自分には哲学は無理」と諦めたきっかけの一冊。あの頃の倍くらいの年齢になってようやく手に取る気になれたし、少しは理解もできそうだし、あの人が笑っていたこともきっとわたしの知らない底意があったにちがいない。すべてを理解しようとしないこと。

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