ハンナ・アーレント『人間の条件』をゆっくり読む(3)

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こんな便利な本を見つけてしまった。まず安い! そのうえ、丁寧にテキストを読み込んでいるので、わたしが考えるようなことは全部書いてある。……「顕微鏡であらゆる苔類を見て撮る」にトライしようと思ったら、すでにわたしより撮影も観察もずっと技術が上の人のBlogを見つけたことがあって、一気にやる気なくした時に似てる。
そんな時でも読書会があれば、読んでないと何もできなくなっちゃうから読もうという気持ちになる。苔も観察会が頻繁にあれば、ちゃんと顕微鏡使うようになるかな。

P.22「人間の条件」は「人間の本性」ではないということ。宇宙に行く話が出てきます。

人間の条件に対応する人間の活動力と能力を全部合計しても、それで人間本性のようなものができあがるのではない。

当時はまだ人工衛星という概念ができたばかりなので、インターネットもない時代。それでも既にこう予測しています。

人間が、地球の提供する条件とは根本的に異なった人工の条件のもとで生きなければならないということを意味する

現在の東京がすでに「異なった人工」によって整備されています。苔はほとんど生えないし、農作物を耕す土もない。プログラムを書くことが仕事(「労働」?)だったりドローンを飛ばして戦争するというのもアーレントが言うところの「異なった人工」で、新しい技術を前提にした活動をそう呼んでいるのだと思います。そうであっても人間であると。自分たちにとって想像し得ない(人間の条件にあたらない)活動をしていても受け入れよう、という意味なのでしょうか。

P.23 えっ、今まで散々人間の本性について語る気だったのでは?

人間が他の物と同じような意味で、本性とか本質をもっていると考えられる根拠はなにもない。(中略)私たちが本性とか本質をもっているとしても、それを知り定義づけられるのは、明らかに神だけである。

すいません、神様を出されてしまうとわたしの理解はまったくわやです。まず「自然的」の定義がよく分からない。生物的、という意味なのでしょうか。猫の本性や本質も全く分かりませんが、生物学的には食肉目ネコ科ネコ属のイエネコであるということが本性だとアーレントは言いたいのでしょうか? それでも個別の猫には柄もあれば人間の好き嫌い、食べ物の好き嫌いなどいろいろあると思うのですが、何をもって自然的特質とするのか。Wikipedia先生によると人間以外の自然物・生物全般らしいですが、わたしにはそこまで人間を特別視できない、と言い出したら西洋哲学を読む資格がないのでしょうか。

われわれは何であるか、われわれは何者であるかに答えられないことは、考えられる人間の条件が人間を定義づけることにはならない。しかし、歴史上のある一点で考えられた条件というのは環境が変わると更新され、新しい人間の条件が見出される。地球が太陽系の中心だった時代から1000年もたたずに地球に拘束されない(物理的には地球を抜け出しても、生命維持にはまだまだ地球に依存していますが)人間になった。ここでは、人間の条件は変わりうる、ということを言いたいのかなと思います。

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