第64回読書会 ナボコフ『淡い焔』

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前回の『JR』読書会から少し時間が空きましたが、課題図書はまたも気軽に読めないナボコフの『淡い焔』。元々そうですが、「1人で読むには気が重い本をみんなで読むための読書会」の本領を発揮したような選書です。この調子でいつか『アーダ』も……。

今回の参加者は16名。1人ずつ感想を言うだけで時間の半分が過ぎ、終了間際には話すことがないこともしばしばですが、今回はまだ話したりないのを中止することになってしまいました。読み解こうと思うと4時間では足りない、懐の広い一冊です。

ここからネタバレがあります。未読の方はご注意ください。

個人的には暗殺者グレイドゥスの動機に解釈がついたのが大発見でした。犯人であるグレイを、自分の暗殺者として重ねていたチャールズ。実際にやってきた「グレイ」は、チャールズの借りていた家主の判事を付け狙っていたのです。判事には刑務所に送った人の写真を壁に飾るというあまり趣味の良くない癖がありました。しかし、「グレイ」は判事の顔を明瞭に覚えておらず、年輩のシェイドを判事と誤って殺害し、チャールズはそもそも狙われていなかったのです。
わたしは「ゼンブラはあります」派なので、チャールズの言うことを鵜呑みにしグレイドゥスがわざわざ海を渡ってきたと信じていたので、現実(?)の解があったことに感動しました。

以降は参加者の感想です。ちなみに、参加者の中でチャールズあるいはシェイドが1人で書いた説の人はいませんでした。ただ、詩の「淡い焔」がカードに書かれていることから、全ての詩をシェイド1人で書いておらず、Canto4はチャールズが書いた可能性があるのではという意見もありました。

  • 作中で触れられるシェイクスピア「アテネのタイモン」は泥棒の話なので、チャールズが詩をかすめとったことの意味
  • 一つの詩をこじつけて読むことで解釈はどんな範囲にも広げられる。それは誰にでもあることで、誰しもチャールズになりうる
  • 註釈と言いながら書いているチャールズの知らない野球のこと(チャップスのホーマー)を稚拙に解釈している
  • 一人称の語り手によって視野の狭さが浮き出てくる:『絶望』に似ている
  • ナボコフ「作者の意図を分析するのは我慢ならない」フロイト主義的な暗喩を批判する
  • p.268:屑の註釈から解釈すると、草稿としてある部分はチャールズが書いた可能性がある。シェイドは草稿は残さない主義
  • チャールズはゼンブラから来たわけではなく、ゼンブラの部分はすべてチャールズが作った妄想
  • 「連珠型」など岩波文庫版では分かりやすいが正確ではない訳だった箇所が正確に訳されている
  • キンボートは愛されたいけど、他人を自分の都合の良いように動かしたい人なので好かれない。満たされないままの人だけど、その理由を認めたくない
  • 唐突に出てくる「先生」「神よ」という呼びかけは精神科医に呼びかけているのでは?
  • チャールズのシェイドへの気持ちは性愛ではない愛情、自分を認めてほしい願望
  • 映画「ブレードランナー2049」でも大きく扱われているように、チャールズの非人間性が際立つ
  • シェイドの詩を代わりに読む、これはつまりチャールズ・キンボートは友田とんである!
  • シェイドという名前は本名ではなく、チャールズが自分の影としての象徴的な意味をつけているのでは?
  • シェイドは詩・チャールズは註釈によって、世界を言葉で再構築する。何が事実なのか言葉を読み解く必要がある
  • グラドゥスが最終的に自殺してしまうのはチャールズも同じで、死ぬことが救いになってしまうのは悲しい
  • 最後の数ページで冷めた現実が描かれ、ゼンブラなんてないことが明確にされてしまうのが寂しい
  • ナボコフは芸術至上主義として、『ロリータ』はじめ変態性ばかりとりあげられるが、実は世の中の残酷さに反対している

少しコネタを。
チャールズがシェイド夫人に嫌われているのは単に毛嫌いしているわけではなく、最初にシェイド夫人だけに会った時、お茶の誘いを「ピンポン」を理由に断っているからだと思います。

あと心残りはチャールズ父の曲乗りとか王冠の場所(個人的には城の脱出ルートのどこかだと思います)など、ゼンブラのおもしろい話が不完全燃焼でした。時間を区切ってゼンブラと現実のアメリカを別に話してもよかったかも。

次回は8月24日(土)、課題図書はのちほどTwitterでアナウンスします。

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