#私の平成の30冊

book

元号なんてなくていいと思っているのだけど、30年間自分が何を読んできたのか振り返るにはいいと思って、Twitterのハッシュタグに便乗した。

学生の頃はちょっとおかしくてほとんど本が読めなかった。同じ落研の人から借りたベルグソン『笑い』がさっぱり分からず、同じ学年なのにこんなに読解力に差があるのかと落ち込んだことも。『笑い』は今読んでもあんまり分かりませんでしたが。

本が読めなかった学生の後半に出会ったのが、インターネットと「十二国記」。こんなにおもしろい本があるのかと夢中になり、4階にあった落研の部室で読み切ったら階段を駆け下りて信号を渡ったところにある書店で次の本を買い、また読み切って階段を駆け下りるというのを繰り返した。もう手元には一冊も残ってないけれど、十二国記がなかったら本を読めないままの人生だったかもしれないので、先頭に来るのはこれ。インターネットでは黒木先生の掲示板と山形浩生のページに世界の広さを感じた。

本が読めるようになってからは急速に本を手元に集めたくなって、古本屋の桟をまたぐことが増えた。学校から4駅離れた商店街には2軒の古本屋があって、1軒は後に神保町へひっこしてしまったけど、オレンジ色のファサードの下で良い本を安く売っていた。そこで出会ったのがナボコフの『ヨーロッパ文学講義』『ロシア文学講義』TBSブリタニカ版。最初は難しいと思っていたけど、繰り返し読むうちに小説から何を読み取るべきかが分かってきたような気がした。


小説は読めるようになったものの、子どもの頃からずっと苦手だった詩とは相変わらず疎遠なままで、詩を読める人が羨ましかった。センテンスの間を埋める想像力が足りなかった。節の間にあるものが見えなかったものを見えるようにしてくれたのが、辻征夫。出会いは池袋のぽえむ・ぱろうる、寺山修司の戯曲を漁っていたころに立ち読みで見つけた時、何も考えられなくなってレジへ持っていった。詩集成が出たときもうれしくてぽえむ・ぱろうるで買って、ブックカバーはその時のままつけてある。『河口眺望』はAmazonにないので集成を。

社会人になってからDasaconというベースはSFだけど本が好きな人の集まりにスタッフとして参加。この頃から本格的にSFや海外文学を読むようになった。古本の猛者たちと古本ツアーへ出かけ、当時は翻訳が少なかったり絶版が多かったりして古本の価値が高かった。むかしは河出から出ていた残雪はブックオフ100均の常連だったなんて、今では誰も信じてくれない。車で神奈川をツアーした時、偶然立ち寄ったゲーム中心の古本屋に、レムとかバラードの当時1万円くらいする絶版の本がごろごろ転がってた店に入った時の興奮は今でもときめく。

Dasaconがなくなってから読書会ぽいのを続ける場を作りましょうということで、最初はSFの人が集まる感じの場所だった読書会。『ケルベロス第五の首』で月の場所が物語の大きなヒントになっていることを教えてもらった時は感激したな……。2010年くらいまではSF色が強かったけど、個人的事情により一時中断した後は海外文学一色に。

石牟礼道子の『苦界浄土』は自分の興味が文学から哲学や自然に移るきっかけ。正直なところ、人間にはうんざりしている。地面をべったりコンクリートで塗りたくって、自分たちの利便性というかお金もうけのために自然を壊してもかまわないという経済界や政府のお偉方にげんなり。だいぶ頭がよくなったんだから、もっと大局を見て政治や経済活動ができるようになったらいいのに、と思いながら読書を続けています。

そうしてコケにたどり着く。学生時代から読んできた大島先生と成田先生も、人間だけじゃなく、世界と自分という対比が多いように思えて、世界は人間同士だけで終わるものではないという内容が多い。そうして世界に視点を向けると、自然を言葉に編み込んだ和歌のすばらしさに気づく。式子内親王はラファエル前派に通じるロマンを称えているし、西行はパンクだし、常に自然という中にある自分を見つめている。これからはそういう本を読んでいきたいし、コケを通して自然を見つけていきたい。

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