増上慢すれすれなタイトル 小林秀雄・岡潔『人間の建設』

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このタイトルは小林秀雄がつけたのか、編集者がつけたのだろうか? わたしは小林秀雄を最近になって見つけて、タイトルの不遜さに驚いた。中身を一読しただけだが、二人はこの言葉を使っていない。

この対談には酔いしれると同時に、ここにいつまでも耽溺していてはいけないという危機感もある。岡潔は、

自己中心に考えた自己というもの、西洋ではそれを自我といっております。仏教では小我といいますが、小我からくるものは醜悪さだけ

と個人主義を攻撃しながら、

私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない話ですが、「神風」のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。

とする。数学の大家が戦時中の全体主義から一歩も抜け出せていない。これにはさすがに小林秀雄も「そんなに日本主義ですか」とドン引き。

本書を読んで痛感するのは、「分かった」と確信することほど理解から遠いことはない、ということだ。実は岡潔自身がそれを会得したようなことを言っている。

この松は枝ぶりがよいとかいけないとかいう見方は、思い上がったことなのです。

自然はあるがままであり、評価は人間が勝手に後付けしているものなのだという。それは世間が答えばかりを出そうとして、正しい問いに至っていないという議論につながっていく。科学では仮説をたてるために正しい問いがなければならないが、世間はある答えのために動く。そのために、

主張のない科学に勝手な主張を入れる

ようなことをする。今もはびこる似非科学は最たるものかもしれません。岡潔が言うところの小我を捨てて物事に集中することは美しくあるべき姿だけど、世界にはそれを利用したい人たちが多すぎる。

これは正しいなと納得する部分もあれば、飛躍しすぎて全く首肯できない主張もある、不思議な一冊でした。

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