苔をたずねて三千里

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『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』はヴェイユ入門に最適

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哲学について全くの門外漢だったわたしですが、数年前にぼろぼろの古本で出会った『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)には衝撃を受けました。

冒頭の

たましいの自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。

という一文を読んでびっくりしました。恩寵とは何か、たましいの自然な動きとは何か。漠然とたましいというのは善を目指していて、でもそれは現世では難しくて、その苦難に乗り越えた先、死ぬ間際になにかしらの恩寵があるのだと。
また、そのすぐ後に、

わたしは、頭痛の折りふしに、発作がひどくなると、ほかの人のひたいのちょうど同じ部分をなぐりつけて、痛い目にあわせてやりたいとつよく思ったものだ。

とあって吹き出してしまった。暴力的。でも、自分が平穏を得ていないのに他人はすました顔をしているのを見ると、世界が不公平でありそれを平らにならしたいという気持ちはとてもよく分かる。そんなこんなで、しばらくヴェイユを文庫であいまあいまに読んでいたのですが、岩波文庫の『自由と社会的抑圧』はマルクス主義にどっぷりと首まで浸かる覚悟が必要でちょっと難しい。

今回河出文庫から出た『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(河出文庫)はマルクス経済のことはほとんど出てこなくて、16歳の時(!)のグリム童話についての論考から、最晩年になって人間の権利・人格、そして民主主義を取り除く別の制度をもくろむ「人格と聖なるもの」まで、アンソロジーにふさわしくヴェイユ全体を標榜しようとするこころみになっています。

『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』でいくつか印象的な部分を取り上げてみます。

不幸のもうひとつの作用は、魂に無気力という毒素を注入して、少しずつ魂に不幸との共犯関係を結ばせることである。かなり長いあいだ不幸であった人誰しものうちに、自分自身の不幸との共犯関係が見られる。(P.242)

ヴェイユにとって不幸とは単なる恵まれない条件というのではなく、「キリストはわたしたちにとって呪いとなられた」とあるように、キリストは不幸のMAXなのです。上記のことばは不幸な人は軽蔑・排斥・嫌悪が自身に向けられ周囲にも拡散するという第一の作用を受けたもので、不幸な人は不幸の元を受け入れて取り除こうとしない、とわたしは解釈しました。周囲から見ても不幸な人の不幸な状態は本人が望んだものと考え、結果として不幸な人として孤立し続けてしまうということだと思います(ヴェイユは不幸を寄生虫に例えていますが、キリストを不幸の最たるものとして取り上げているので、えらい人から怒られないのか心配になります)。
属するコミュニティや学ぶ機会がずっと少ないから、環境を変えたらそれまでの自分が不幸であることに気づくことができたというチャンスが今よりずっと少なかったことでしょう。福祉も発達して、「過去の不幸から解き放つ」のは神だけがなせる業という特権性も薄らいだのではないでしょうか。もちろん、過去の不幸が本人の納得のもとに収まるというのは他人にはなしえない業だとは思いますが。

余剰もまた、労働者の生活には無縁である。というのも、余情への欲望は、それ自体無際限であり、それゆえ、条件が変化することへの欲望を孕んでいるからである。(P.226)

ここはもう心の髄から資本主義の世界に身を置いている者として、賛成できることではない。余剰がなければ安心という状態も得ることができないことについて、農民という条件では安心の程度問題であり、最重要課題は安全性であって、需要や供給が偶然性に頼ってはいけないとする。このあたりものすごく共産主義ぽい。今の日本では農業に就いている人が400万人強、当時より技術が進化して「供給や要求の偶然性」はぐっと低くなったのではないか。インターネットがあり情報がずっと多くなった現代をヴェイユがどう見るか、いつも考えてしまう。

粗暴な必然性は世界の美において愛の対象となる。海の波の儚い襞あるいは山々のほぼ永遠の襞に刻み込まれた重力ほど美しいものはない(P.253)

これはまさしくそうで、コケを見ているとコケの美しさはもとより、シダのデジタルに揃った美しさや、堅い地層の柔らかい曲線など、自然の美しさは「粗暴な必然性」から成り立っていると実感します。物質は神に完全に従順であるという言葉が、キリストを信じていないわたしにもその切れ端くらいは掴めるように思いました。

全体を通して決して論理の通った本ではないのですが、それでも言葉の端々に真実が染み渡っているように感じ、何度も読み返し考えてみたくなる文章はなかなかありません。実践となると難しいのですが、それでもヴェイユの見た世界を自分も見たいと切望してしまいます。

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