ほめていく

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学生の頃に自炊を始めてみむとしてやってみたのがインドカレー。レヌ・アロタさんのカレーの本を買ったら無性に自分でも作ってみたくなり、ちょっと高級なスーパーでスパイスを買いそろえた。そもそもインドに行ったことはもちろん、インドカレーを店で食べたことすらないのに自分で作ってみようとしたのだから無謀に思える。結果としてはスパイスの分量さえ守ればだいたいインドカレーらしきものはできます(ギーという油の代わりにバターを使うなどすれば)。それなりにできて嬉しいので、毎日作りすぎて1ヵ月ずっとインドカレーを食べていたらさすがに飽きて、それからしばらく具材になっていたひよこ豆を食べられなくなりました。

この時、わたしは別にインドカレーの味が好きなわけではなくて、自分が何かを作り出せることが楽しかったんだと思うのです。でも一方で、「何かを作り出すことはちゃんとできないといけない」という自己抑制もあって、自分の中の検閲マシーンが「あれはだめ」「ここはもっとこうしろ」といちゃもんをつけてくるので、極力なにかを作りたくない(この文章も然り)人間になってしまいました。

心理学的にはいろいろあるのでしょうが、めんどくさいから自分でなんとかMY検閲官をやっつけたい。「うまい! すげーうまいなー、誰が作ったんだろー(わたしです!)」というやりとり、料理を作ったあとなどはよくやります。でも、絵を描いたり文章を書いたりという時は自分をほめられない。たぶん、自分がその分野で褒められた経験がないまま生きてきてしまったからかもしれません。

いまはTwitterやFacebookで気軽にほめてもらうことができます。このくらいのカジュアルさが実生活にあってもいいと思うんですが、言葉にするとなかなか難しい。かるくほめられる人、ほめを受け止められる人はいいのですが、良いも悪いも評価する感情を表出するのは難しいものです。

悪いところには気づきやすいのに、いいところに気づかないのはなぜだろうと考えています。仕事なんかでもぱっとよくないところを書き出していって、その後で残ったところにほめポイントが残っているはずと思って探していく。本来これは逆であるべきと思うんですが、仕事って悪いところがあるのは最低限避けないといけないから悪いところから探してしまう。仕事のせいなのかな、ほめるのが難しい理由。

仮想の誰かを傷つけることを恐れずに、どんどんほめていかなければなりません。そのためにはいいものをたくさん摂取して、悪いものから距離を取るべき。本を読んだり絵を見たりコケを観察しにいくのは、いいものを摂取しないとわたしが悪くなってしまうせいかもしれないなと思いました。

がんばって書いたけど、結局上述のような普段敬して遠ざけている本と同じことしか言ってない気がするな……。

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