「髙島野十郎展」は今年一番の展覧会でした(若冲行ってない)

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髙島野十郎

髙島野十郎展

髙島野十郎展

Twitterで賞賛している人がいたので、最終日にすべりこみで見てきた。この後、足利でも展覧会があるそうなので、見逃した人は栃木まで足を伸ばす甲斐のある展覧会です。

髙島野十郎は、画壇に属さず晩年まで家族ももたない人生を送ったとか。そういう前提を一切知らずに見たので、後半の月と蠟燭がそれぞれ集められた部屋ではすごく驚いた。初期・渡欧期・帰国後と見てきて花と風景の人というイメージだったので、急に静かで凜とした空気になるギャップには、打ちのめされたと言っていい。

初期はとにかく曲線がすごい。自然界に直線はないといわれるが、それを意地でも体現しようとするかのような執拗で濃厚な曲線に見入る。青木繁のようないわゆる初期の洋画家風ではあるが、そこには意地というか執念のような強い意志を感じる絵。「早春」などは本来まっすぐに天へ伸び上がる2本の木が、なぜか曲がり、それでも天を目指す。ただ重力に反して伸びるだけではなく、もがき苦しみながら、澄明な空をかきわけていくようだ。渡欧前からかなりの画力を持っていたことが入ってすぐに分かる。

しかし、滞欧期になると一転、力がふらりと抜けてしまう。塗り込められたような初期の色遣いから、ふわりとした薄い色が中心になり、意地っ張りな曲線は影を潜めてユトリロのようなやわらかい線に変わる。「どうした、ヨーロッパはそんなに楽しいか?」と問いただしたくなるような変遷。

それが日本に帰ってくるとさらに変わる。初期よりも力の抜けた線ながら、淡い光が画面を覆うようになり全体に幸福感を与えてくれる風景画が多くなる。野山や海など自然が豊かなところを旅したというが、旅がきっと楽しかったのだろうとしみじみ思わされる絵が増える。初期の静物画で描かれるりんごを初めとした果物は暗い影がかかりあまりおいしくなさそうだったが、柔らかい光に映える瑞々しさが美しい。

そして最後に待ち構える月の部屋と蠟燭の部屋。髙島野十郎は人にあげるために蠟燭の絵をたくさん描いたという。残り数センチという短い蠟燭から立ち上る炎は、10枚以上かけられているがどれも皆異なる。周囲の赤が濃いものもあり、全体にふわりとした色遣いのものもあるが、どれも灯心の青から周囲の赤まであらゆる色が使われているところは共通している。この画家にとって光と闇がなにものよりも興味深かったのだろうと思う。

もう一つのライフワークが闇夜に浮かぶ月。シンプルだからこそ、見る方はいろいろ想像できる。葉が明敏に描かれているので夏かもしれないとか、月一つ闇に浮かぶ姿は冬の冴え冴えとした深夜かもしれないとか。わたしは一連の月が一番好きになりました。

静かなところでいつまでもゆっくり見ていたい絵ばかり。好きな画家がまた一人増えました。出たばかりらしい画集もチェックしてみよう。

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