断捨離の功罪 若いうちに断捨離することの疑問

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今の本棚その1

今の本棚その1

周囲に数万冊単位の蔵書を持つ人が複数いるので、これまで本を多く所有することは正しいと無意識に信じていた。ふとした時に取り出して引用することもできるし、読みたい本は家にあるはずという安心感もいい。

しかし、会社ではものを極力置かないようにしているし、赤ペンのようなささやかなものでも使ったら必ず元の場所に戻すようにしている。それをなぜ家でやらないのか、という疑問が自分の中でわきおこった。なぜものを元の場所に戻すのかというと、どこに何があるのか考えずに判断できた方がストレスが少ないからだ。何があるかを調べることは時間のむだだし、やるべきことをやっていないという不安感にもさいなまれることになる。会社では整頓できているのに、家ではできていないのは、ひとえにものが多すぎるからだとわかった。

とはいえ、ものが多すぎたというのは無駄ではないというのが今回書きたいこと。この年になるまで本・映画・音楽それぞれに時間とお金を費やしてきた。そうやって触れることで得られるものがある。これが若いうちから「断捨離」に捉えられて、自分の好きなものに出会う可能性をなくしていくことは、純然たる損失だと思う。ある程度時間を費やして、はじめて自分の好きなものが分かってくるのが普通ではないか。小説でいえば、おもしろいものもつまらないものも読んでおかないと、自分にとっての「おもしろさ」が確立せず、誰かが「おもしろい」と評価したものにそのまま流されてしまう。そういう人が増える社会はちょっといやだなと思うのはまた別の話。

断捨離界隈では「ときめき」が取り上げられるけど、「ときめき」に出会えるようになるまで、「ときめき」を逃さないように訓練するには、それなりの経験が必要だ。若いうちから自分の可能性を摘み取ってしまって、無であることを最優先にすると先細りになってしまうように思う。

この年末に一時期1000冊くらいあった蔵書を、本棚2棹と一部の漫画(押し入れ)になんとか減らした。残した基準は「未読の本は1年以内に読むか」「読んだ本は再読するかどうか」。この2点を充たさない本は所有する価値がないと思う。とはいえ、ちくま文庫の怪奇探偵小説名作選のような再入手困難な本は今もまだ処分するか迷っている……。まだまだ思い切りが足りないようです。

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