酒井抱一生誕250年 琳派芸術 —光悦・宗達から江戸琳派—

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出光美術館で開催されている「酒井抱一生誕250年 琳派芸術 —光悦・宗達から江戸琳派—」へ。先週「日曜美術館」で紹介されてしまったので混雑が不安だったが、10時ちょっと過ぎに着いて50〜70人くらい。ここに限らないが最初の比較的小さな展示にひっかかっている方々をおいて、大きな屏風がある「2章 金屏風の競演」へ移動。

伝宗達「月に秋草図屏風」がいきなりすごい。金屏風に月をそのまま描いたら金と黄色でかぶってしまうところを、大胆に黒、しかも周囲をにじませて朧月にしている。秋草は下側に配置され、上の余白を空に感じさせる。わたしは余白にある茫漠とした余韻や空虚さが好きなんだと改めて実感。

3章は尾形光琳。「燕子花図」では一見たおやかな燕子花と見えたものが、所々燕子花の群青よりも明るい青が入っていることに気づき、これはもしかして水滴が輝いているのかもしれない。これは根津美術館所蔵の有名な屏風にはないタッチ。デフォルメされた中に明確なリアリズムが残っているところに感動しました。

「紅白梅図屏風」左隻では天に向かってうねり踊るかのような梅の木が強い印象を与えるが、翻って右隻に目をやると半分以上は金箔のみで、右上から左下にすっと伸びる枝1本だけ。これは静と動というよりも生と死くらいの衝撃。

4章の水墨画ではなんといっても宗達のしょんぼりにゃんこ「龍虎図」。相変わらずしょんぼりしてた。空中にぽーんと鞠を蹴上げる布袋様は、なんだかいつもより線がぼんやりしていたような。照明が明るかったからか?

今回は右から見ていくか左から見ていくかを意識しながら観覧しました。宗達featuring光悦の和歌絵巻は縦書きの文字が入るので、当然右から左へと視線が流れていきます。しかし、これが屏風になると大抵左から右へと見ていくようなことになる。今のわたしたちは横書きの文章に慣れているから左から右が当然の流れに思えるけれども、当時の人たちの文は右から、絵は左からという習慣はどういう流れでできたものなのか、疑問が増えた展覧会でありました。

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