苔をたずねて三千里

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佐々木健一『美学への招待』(中公新書)

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ときどき、物語を引き受けられない時期がやってくる。たいていは不安によって邪魔されているようなのだが、単にその不安を取り除けばまた物語を読むことができるかというとそうでもなく、むしろその不安はそのままに、よりわかりやすい言葉、定義された安心な言葉を摂取することで、崩れていた自分の床を固めるような感じでふたたび物語に戻っていくことができるようになる。文学論を読むというのは、この場合あまり有効ではなくて、むしろ崩れた床を誰かに荒らされてうまく床がそろったらお慰みくらいのものだ。興味があってもなんとなく敬遠していた分野に手を出すことで、その視界がクリアになって床の形を並べ替えられるかもしれない、という期待で佐々木健一『美学への招待』を手に取った。

文章がちょっと気になったのははじめに言っておきたい。あとがきで触れられているように脱線や逸脱を自らに許して書いた、とある。確かに文中で急に目標が変化して「あれ、何の話だっけ?」と混乱することがしばしばある、というのは前提で読むべき。新書というものは主題から逸れることなく論が展開されると思い込んでいたので、3章くらいまでは蹴躓いたまま読み進めた。しかし、その前提さえしっかりしておけば、語られる内容はおもしろい。

2章で取り扱われる「センス」という言葉について、特にわたしはずっと忌避してきた(感想を述べるときに使われる「深い」も同じように嫌っているので、いずれそれについても自己解決したい)。センスの有無で語られるとすべてがそこから発展しないし、そもそもそのセンスの有無は誰が判断するのだという疑問、そのあたりのことを野球選手の「センス」と比較して、「感じるとは何か?」に展開していく。言われてみれば、センスの有無というのは感性がいかに発現されるかから始まっている。2章ではセンスの問題についてすっきりとは解決しないが、読み進めていくうちに美しく感じることや「精神性(これもわたしが避けてきた言葉の一つだ、ジャズの分野とかで使い古されてぼろぼろになっていると思ってきた)」についても、軽やかにそして丁寧に語られていく。

大衆が古典的芸術を愛し、一部の人が先鋭的な現代の「理解しづらい」芸術を愛するという構図もつい最近の動向であるという指摘。19世紀後半の印象派などは新しい画法だったわけだが、それでも大衆に愛された。シュルレアリズムや抽象美術(音楽ならシェーンベルクの十二音技法あたり)など、新しい技法が開発されていくにつれて大衆が安心感や教養を求めて古典的芸術に戻っていったという指摘がおもしろい。このあたりはインターネットがその空気や割合を変える可能性もありそうだけど、上野や六本木の美術館がいつも混雑していることを思うと、大きな潮流までにはならないのかもしれない。そういう一部の「分からない藝術」についても、世界での受容のされ方と著者自身にとっての受け入れ方について書かれているので、新しい芸術に今ひとつ及び腰な人(わたしだ)にとって大きなヒントになるのではないか。

わたしが山に登るとき、植物や動物や石や水、すべての調和がとれている美しさを感じるのだけれど、それと人間が作り出した芸術の美しさをどうバランスをとればいいのかがよくわからなかった。どちらも美しいとわたしは認識しているのだけれど、単純にその時限りの美しさとして消費してしまうのではなく、永続的な記憶とその美しさに自分がどのように貢献できるのか、そんなことまで考えさせられる美学についての本でした。著者の他の本も読んでから再読してみたい。

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