第36回読書部活動 ガルシア=マルケス『族長の秋』読書会

族長の秋 book
族長の秋

参加人数は15名で、通常より5名程度多く、会場の座席いっぱいに広がることになり、話題が途切れがちになった要因の一つと感じている。通常はテーブルの幅の狭い、いわゆる「お誕生日席」に司会が座っていたが、むしろテーブルの幅広い辺の中心部分にいるようにすれば、誰からも距離が近くなって話を聞きやすくなるのではないか。今までの席配置を見直す良い経験になった。

参加者からの読後感想は以下のとおり。

・人称の変化は気にならない
・もののられつが楽しい → 『ガルシア・マルケスひとつ話』に作品で登場する怪しげなものをピックアップしたリストがあると、読書会では伝えられなかったのでこの場で。
・視点が鳥が飛んでいるように変わる
・旧約聖書とのつながり。タイトルが『旧約聖書 創世記』で、大統領は神なので数々の奇蹟を起こす。母の列聖など。
・珍妙なエピソードは好きだけど、文章に乗れない
・将軍のディナーあたりから、ユーモアだとわかったが、それまでは笑いどころがつかめなかった
・ボケた爺さんがずっとしゃべっているような語り
・読みづらい。大統領はさっさと死ねばいいのにと思いながら読み続けた。
・音読もしてみた
・エピソードはおもしろいが、許しがたい。独裁の信念があるはずなのに、なしくずしの政権奪取
・政治は何をしていたのか、共感できない
・『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』がトルヒーヨをモデルにしたような明確なモデルがあるのだろうか? → ベネズエラのフアン・ビセンテ・ゴメスとどこかに書いてあったような
・カリブ海のゲーム「トロピコ」は本書の影響があるかも。
・「われわれ」で語り手が混乱して読みなおすことがあった。複数の人称を使う本として、ジェフリー・ユージェニデス『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』の複数形を彷彿とさせた。主体がはっきりしなく、集合知識のような語り手
・大統領が人としては報われていない。信頼した人や愛する人が各章で消えていってしまう
・ひどすぎて笑える(母が葬儀パレードの結果粉になってしまう、美人コンテストの女子に操られる大統領の無様さ)
・大統領という職をうまくできないのに、大統領になってしまった悲哀
・どんな場所でもあてはまるような、ありえるシチュエーション
・客観的にどうなのかわからないような書き方
・人称の変化について、フエンテスの人を寄せ付けないスペイン語に比べて、ガルシア=マルケスのスペイン語はわかりやすい(らしい)
・一流の語り手。自分を出さず、作家としての立場が揺るがない。フィクションとして完成されていて、自分の感情が反映されないところがすごい
・孤独・不在 全編通してすぐに登場人物がいなくなってしまい、大統領が感じる孤独
・100年以上生きている設定なので、スペインの植民地から独立して独裁者が林立する、全体をまとめた視点
・若いころの大統領が描かれていないことが不思議
・さみしい印象。心許す人がいない
・残虐行為が楽しいわけではなく、大統領の地位についてしまった人が結果として野蛮な処罰を選ばなくてはいけない
・できのいい息子かわいそう
・みっちり書かれているリョサ『チボの狂宴』に比べるとマジリア(マジック・リアリズム)
・ナチョの話をもっと読みたかった
・南米が苦手で映像としてイメージしにくい
・理に落ちた文章が少なく、すんなり読めなかったが、イメージ喚起力はすごい
・ある1人ではなく、集合体としての大統領
・母だけがスタンスを変えない
・マジック・リアリズムでした。マジック・リアリズムの必然性が理解できない
・エピソードの積み重ねが絢爛すぎる

実はエピソードそれぞれがものすごく短くて、ネタの宝庫のため、話を深く追いかけるのが難しいと感じた。個々のエピソードが連なっていって一つの小説になるというのは、ガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』でも使われていて、今回改めてその特徴の存在を知る。

次回読書会は11/16(日)、課題図書はドノソ『別荘 (ロス・クラシコス)』としますので、よろしくお願いします。

コメント

  1. 根保孝栄・石塚邦男 より:

    現代小説の粋を集めて、さてあなたはどの手法を選ぶか・・・と問い詰められると、すぐには応えられない気がします。

    意外にも小説書きは公式通りの手法はつかわないもので、自分の筆先の感覚を信じて書き進むもの。だからと言って、自分の中に使用説作法がないわけではない。

    微妙ですね。その辺の感覚は・・・。